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十年先に手紙を出すこと

同窓会とかいう人生イベント


 遠い過去の自分から手紙が届いた。タイムカプセルに入っていたそうだ。同窓会の主催に手渡されるまですっかり忘れていたがそんなものを書いたのだった。本当に、同窓会に行ってよかった。こんなものが他人の手に渡る瞬間があったらと思うと気が狂う。実際、欠席者の分の手紙は現在私の手元にあるが、封を切る欲求と理性がずっと闘っている。

 同窓会というものに初めて行った。私のコミュニケーション能力は二十歳以降に無理やり培ったもので、この同窓会はその前の時代のものだった。私は友達が少なく、不運なことに同窓会に出席した友達はさらに少なかったので、100人ほどが立食する会場でひたすらにヘラヘラとしていた。いや、ヘラヘラできただけでかなり前進なのだ。十代のおわりの頃の私はずっと一人でぶすくれていた。悲観的で、受動的で、他力本願であった。今はとりあえず友人の友人くらいの、決して友人ではない距離感の人間の話を広げて楽しそうに相槌を打つぐらいのことはするし、名前を覚えていない相手でも目があったら小首を傾げて微笑んだりする。かなり明るい人間の真似ができるようになったのではないだろうか。

 十九歳の自分は、今の自分の原液のように思う。社交性も身につけず理屈ばかりで何もなさない停滞具合だとか、傷つきやすくそれを隠さない警戒心のなさだとか、そういう稚拙さ。これらは自分の中から排除され切ったわけではなく、深夜の風呂場だとか布団の中でだけ顔を覗かせて、また朝になれば嘘のように鳴りを潜めている。
 そんなものの全盛期だった自分が書いた文章を読むのが怖くないはずがない。

プレイリストを残せ、絶対に

 息を詰めて封筒を開け、最初に目に飛び込んできたのは、「涙で雪は穴だらけ/倉橋ヨエコ」の走り書きだった。

当時、米津玄師がまだ顔を出していなかった頃

 お察しの方もいるでしょう。これは十年前の私の「プレイリスト」です。 お気に入り、プレイリストというのは自由に追加・削除でき流動的である。そのため、「ある時点のプレイリスト」を残すことは実はちょっと難しい。それを知ってか知らずか、十年前の私は、本来は移り変わって消えていくはずの青春の香りを完全に閉じ込めて今の私に贈ってくれたのだ。プレイリストを残すのは、絶対に機会があればやった方がいい。そして、今はもう聴いていない曲をYouTubeで探して聴いたり、逆に昔から聴いて今もお守りにしている曲を大切に聴き直したりしてみてほしい。本物のエモい、というのはフィルムカメラのフィルターで作るのではない。本物の月日が作るのだとあまり劣化していないメモ帳とボールペンの文字を見て思う。
 ちなみに、書き出されている倉橋ヨエコはその当時は活動を完全に引退している状態で、二〇二三年からニューヨエコというプロジェクトで活動再開している。彼女の新曲を聴けたのは私が生きてて良かったと虚飾なしに思った瞬間の一つである。一方で、このメモを見た瞬間は「お前!十年生きてて良かったなあ!」と不思議と客観的な喜びを得ました。十年前の自分の文字というのは自他の境界をゆるめられる。



この、過去に好意的な目線を持ったまま、いよいよ過去からの手紙を開封する。あまり馴染みのない小さなサイズの封筒に押し込められていたために、便箋、否レポート用紙は8つ折りになっている。


タイムカプセルのコツ

 結論から言うと、あんまりやばくなかったです。
 自分に甘いのかもしれないけど、意外と読めた。

二九歳の私へ、身体は元気ですか。精神は元気ですか。病んではいませんか。

 十九歳の私へ、悪いけど持病二つを抱えて休職も経験している。本当にすまない。書き出しから不穏で笑ってしまったが、この頃から健常な人生を送れない予感があったのだろうな。我ながら慧眼だね。

(当時悩んでいた友人関係について触れる文)
私にはこのことが何よりも辛く悲しいのです。この出来事は、あなたにとってはどうでしょうか。彼らに好かれようと足掻いたことはただの「いい思い出」でしょうか。それとも「無駄だった」と吐き捨てるようなことでしょうか。まさかいまだに縛られているということはないと思います。

 エピソードについては長くなるので割愛するが、中高一貫校で六年ぬくぬくと過ごした私は大学一年目で友人関係にかなり苦労した。しかも地元から離れた場所で全寮制の生活をしていたため、大学での友人関係にどうしても気を取られる時期であった。この文章の後、似たようなエピソード数本に触れているが、十九歳の私は、「私は今そう思っている」「今はどうですか」という形で統一して書いている。決して、「世の中こうだよね」みたいな共感を私に強いてくるでもなく、しかも、歳をとった後の自分をなぜか先回りして「まあアラサーのあんたにとってはもう大したことじゃないかもですけど」と腐してきている。この点はかなり小癪である。しかし、将来の自分に当てたメッセージとして

 ①あくまでも現時点での自分の感想であることを強調すること
 ②読み手に問いかける形式を重視すること

この二点を守ってあることはかなり有効に働いたと思う。私が十年前の文章を意外と読めたと感じた理由はおそらくこの二つに集約されている。これが、俺ってこういう考えの人だから!とか、世の中結局○○なんだよな、といった悲観的なバカ丸出しの自分勝手なSNS構文だったら読めなかったと思う。当時Twitterとかいう掃き溜めでしかアウトプットしてなかった癖に意外と独善性がないのは素晴らしい。黒歴史に対する羞恥は、的外れの全能感があった頃の自分に対して生まれる。言い切るのではなくあくまでも他人に問いかける形式で書くことは、自分がまだ未熟で悲観的なだけのバカであることを記録するテクニックとしていい気がする。皆さんも自分のケツの青さを記録したい際にはぜひためしてみてほしい。

十年で変わるものと変わらないもの


 タイムカプセルという名のパンドラの匣を開けた総括として、本当に機会があれば手紙とプレイリストはやった方がいいです。決して後から取り返しの付かない体験ができます。主催の同級生には本当に感謝しても仕切れない。
 また、十年前の自分が今とあんまり変わらないな、というのが正直なところです。悲観的な視点や青臭さは今の自分どころが過去の自分が想定するレベルでしか変化してなかった。十年前のある時点で最大の辛かったことに、今は全く縛られていない。いや、その後もっと苦しいことがいっぱい起きるよ、といった形なので、次に未来に手紙を書く時には直近十年での苦悩を書いた方が読み応えがあっていいかもしれない。
 唯一驚いたのは、十年前の時点で自分に「文章を読ませようという気概があったこと」です。テクニックは問いかけ一本調子だし、全体的に暗いトーンではある。構成も練られていない散文ではあるが、鬱屈としたある時点の感情を封じ込める役割と、その身勝手かつ痛々しい記述を他人に読ませるための工夫は感じられる。未来の自分とはいえ、他人に読ませようという気持ちも変わらなかったのはちょっと感動した。その軸に気づいて十年間磨き続けていたら、もっとマシな実験報告書もレポも記事も書けたのにね、という残念さはある。そのあたりの後悔はご愛嬌です。というのも、実は二〇一四年の自分が二〇二四年の自分に期待していることはすべてクリアしている。過去の我ながら、胸を打たれたので引用する。

どんな泥沼の中でも自ら死を選んだり、考えることを放棄しないことだけを期待しています。





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