2015年10月18日の講演「内側から見たレビー小体型認知症」(11 症状でなくLifeを見て。病名と認知症の問題。出版の経緯)

私が思うのは、医師も医療者も介護者も家族もですけれども、症状だけ見ないで欲しい。その人のlife。英語のlifeっていろんな意味がありますよね。私、これ、中学の時に面白いなって思ったんですね。lifeって生活、日常生活とか、毎日の暮らしって意味もあれば、人生とか生涯とかっていう意味もある。そして生命とか、いのちっていう意味がある。すごく大きいですよね。これ(Life)を見て欲しい。

その人の毎日の暮らし。その人が、何を好きなのか、誰が好きなのか。今日誰とどんな話をして、何を食べたのか。その人のそういう日々の暮らしを見て欲しいです。
その人の人生。どういう人生を送ってきた方なのか。どういう価値観を持った方なのか。何を大切にして生きてきた方なのか。それを見て欲しい。
そしてその人のいのち。その人がその人であるために必要なものは何なのか。こういうことを見て欲しいんです。

でも現実には、こんなのは殆ど見られていません。ユマニチュードとか、パーソン・センタード・ケアとか、素晴らしいものは出てきてますけど、「そんなのやっていられない」というのが、多くの現場です。
症状だけ見て、「あ、暴れてます。薬!」。すぐ抗精神病薬っていうのが、現実だと思います。
でも、こういうlifeを本当に見ていたら、そこに症状を改善するヒントはいっぱいあるんですよ。なんで暴れてたかって。薬がなくても治せる方法はあるんですよ。それを目指していくべきです。医療も家族もそういう風に変わっていってほしいと思っています。

(ディぺックス・ジャパンのサイトの紹介。色々な書籍、動画などの紹介をしている部分は省略)

もう一言言いますと、最近、小阪先生(レビー小体型認知症の発見者)とお話しする機会があったんですけれど。レビー小体型認知症って、名前が変わってきたんですね。最初は、びまん性レビー小体病という名前でした。それが国際学会でレビー小体型認知症という病名に変わりました。

でも小阪先生が仰るには、これが誤診の原因になっている。というのは、レビー小体型認知症は、認知症がなかなか出てこないので余計誤診されているし、医師も「認知症が出ていないんだから認知症とは診断できない」となっている。
それは大間違いで、レビーは、自律神経症状とか幻視が出たところからきちんと治療すれば、認知症になることをすごく遅らせることができる。あるいは認知症にならないままの状態を保つこともできる(可能性がある)。

なので、早期発見早期治療が、一番重要な病気はレビー小体型認知症であるのに、その真逆。誤診されて、誤った治療で悪化している人が、あまりにも多いので、小阪先生は、レビー小体型認知症から「認知症」を外して、レビー小体病という名前に変えたいという風に仰ってました。

「樋口さん、あなたは、今は、認知症じゃない。将来は分からない。でも樋口さんも頑張れば、認知症にならずに済むかも知れない。樋口さんは、確かにレビー小体病である」 「レビー小体型認知症」って言っちゃうと、皆、「違う!」っていうけれど、でも、「(樋口さんは)確かにレビー小体によっていろんな症状が出ている」っていう風に小阪先生は仰っていました。

でもやっぱり相変わらず、誤診だの違うだの言われまして、日本認知症学会に行ってお話ししたときも、—すごく医療批判をしたので、会場から石が飛んでくるんじゃないかって…、医師ですからね、医師から石が飛んで来るんじゃないかって。(笑)怖いなぁと思ってたんですけど。でも石は飛んで来なくて、皆さん、すごく好意的な反応だったんですね。
私、すごく不思議で。『医療批判しているのになぜ?』って思って、一緒にいた方に「どうしてこんなに好意的なんですか?」って訊いたら「医師だって、色々おかしいと思っているんだよ。何か変だなって、治療も上手くいかないし、何か変だなって、皆、思ってるんだよ。でも、権威が、”こうだ”って言っているもの、中々”そうじゃない”って、医師は言えない。そこに本人が出てきて、”権威が言っていることは、全然違う”って言うと、やっぱりそうかって、納得できるから」っていう風に説明して下さった方がいましたけれども。

『そうなのかなぁ?』と思っていたら、翌日になって何人もの医師の方が、小阪先生に「樋口さんって、本当にレビーですか?」って聞かれたと言われたので…。それを説明するのに75分要るのに…。本当に、私は、いまだに困っています。


あと、私の細かい症状とかは、この本(「私の脳で起こったこと」)に非常に詳しく書いてあります。
これ、私の日記なんですね。1月の「レビーフォーラム2015」に初めて登壇した時に、ブックマン社の編集者が来てまして、講演が終わった後、スタスタっと来て、「本、書いて下さい!」って仰って。で、その本の構成どうしようかなと思った時に。日記というか、記録をずっと書いていたので、「ちょっと、これを参考に、一緒に構成を考えて欲しい。参考に読んで下さい」って見せたら、「これ、このまま出版させて下さい!」って仰って。

抵抗はあったんです。皆さんも多分読まれると、『よくこんなこと公表するなぁ』って思うと思うんですけれども。
家族も友人も全く知らない。隠してきましたから、全く知らないことなんですけれども。これを公表…?
認知症と診断された人間が、どういうことを思うか、どう感じるかっていうことを—、よく「赤裸々に書かれた」って言われるんですけど—私、「赤裸々」って、週刊誌みたいで嫌だなって思うんですけれども…。

結局、私も言わなかったんですね、家族に。夫にも。自分の症状のこともあんまり言わなかったし、自分がどんな気持ちでいるかってことは、ほぼ一切言いませんでした。
言えば心配しますし。あまり良いことはないと思ったんですね。
で、同病の人も皆、そうです。若年性アルツハイマー病の方もレビーの方も、あんまり家族に言わないんですよね。
誰にも言わないで秘めてます。で、結局、誰にも言わないから、誰も知らない。医師も知らない。誰も知らない。

さっきの丹野さんもいつもニコニコしてて、本当に素晴らしい方なんですけれども、その笑顔の陰にどれほどの苦しみがあったかということは、分からないわけですよ。伝えなければ。なので、私は、これを公表したら、家族や友人はどれだけ傷つくだろうかと思ったんですけれども、でも、公表しなくちゃいけないんだろうな…と思って。

認知症というものが、間違って捉えられているので、見方を変えて頂きたい。
認知症って絶望的なものじゃない。認知症を絶望的なものにしているのは、不適切な医療、そして不適切なケア、認知症への偏見、誤解であって、病気そのものは、そんなにひどいものではない。
その病気になっても良い状態を保つことができるっていうことを皆さんに知って頂きたいと思って、こんな本を、恥ずかしげもなく(笑)、出させて頂きました。ということで、もう時間だと思いますので。長時間どうもありがとうござました。

*この講演動画 http://www.empawa.org/#!blank/c1ss

スライド:http://www.slideshare.net/naomihiguchi750/ss-54892582


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