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春の思い出

私にはもう両親がいない。

両親が亡くなって5,6年経つのだけど今年になって初めて思い出したことがある。
「そういえば昔、桜を見に行こうって言われて行かなかったあそこってどこにある桜なんだろう」と。
中学くらいの頃でまだ写真も撮ってなかったし、思春期だったから「行かなーい」と断った、あのときの桜。

桜といえば、
母の時と違って、父が亡くなったのは春だったから
葬儀の準備でわたわたしてた移動中に
地元の桜を眺めて少し癒されたんだ。
お通夜前まで実家の庭先で咲いてたスズランや兄が間違えて取ってきたハナニラを添えてたり
少しだけ、華やかにできた記憶がある。
父とはお花や自然にまつわる思い出がたくさんあったな。

中学時代にお花見を断った、その桜がどこの桜だったのか今更気になったところでもう答えはわからない。切ないなぁ
一緒に行ってたら「思い出」になったはずなのに悔やまれる「心残り」になってしまった。残念。
でももしかしたら地元では有名なところだったのかな?とツイッターで地元の友達に聞いてみたら「ここでは?調べてみては?」と回答をもらえた。
「そこだ!」

お彼岸でお墓参り行ったついでに、初めてその場所に行ってみた。
まだ桜は咲いてなかったけど「ここだったんだな」って少し感慨深くなった。

その2週間後が父の命日だったけど、その日は予定があったので少し前倒しで、翌週の命日1週間前にまたお墓参りに行くことにした。

お墓参り後、また桜の場所へ。
今回は満開だった。
誘われたときは夜桜だったと思うし、同じ光景ではないけど、「あのとき誘われてたら出店で何か買ったりもっとお花見っぽいことしたかな?」って少し具体的にイメージできるようになった。

両親が亡くなって5,6年経って、
思い出す頻度も思い出もどんどん減っていくけど、
でも、まだ、忘れてた「思い出」「心残り」
発掘されるものなんだなって改めて感じたのでした。
今年は桜の場所を疑問に思ってから父との思い出をふりかえって、やっぱり娘だから母との思いでのほうが多い気がしてしまってるけど、ちゃんと父との思い出もあったなって思い返せた。

先日、ナースあさみさんがこんなnoteを。

もう私は残されたほうの視点しか言葉にできないけど、残される前に、後悔の無いようにみなさまもお過ごしください。

追記
自分の記録用にその場の桜の写真も貼っておきます。


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