見出し画像

あなたは何故まだ『新米姉妹のふたりごはん』を見ていないのか

『新米姉妹のふたりごはん』という作品がある。

柊ゆたか氏による漫画作品で、月刊コミック電撃大王で2015年から連載されており、コミックスは今度の10月26日に発売される最新巻で7巻を迎える。サイクルの早いと思われるこの業界において4年以上の連載というのはきっとすごいんじゃないかと思う。よく知らないのでこの話はこの程度の言及に留めておく。(怒られたくない) 

とにかく、好きな漫画が2巻打ち切りという悲しい結末を多く経験してきた自分にとって、長く続いてくれて嬉しい作品の一つだ。

※尚、Pixivコミックやピッコマなどで数話読める。この記事を読んで気に入った方は是非読んでほしい。


作品について

物語は、主に「サチ」「あやり」という二人の女子高生を中心に進んでいく。

天真爛漫な性格だが料理は少し苦手なサチと、やや内向的な性格で緊張すると目つきが鋭くなってしまうが優しい心の持ち主で料理が得意なあやり。そんな二人が親の再婚により「同い年の義理の姉妹」として一つ屋根の下で生活を共にし始めるところから物語は始まる。

全く知らないもの同士、性格もノリも生い立ちも違う――。そんな少し不安を覚える共同生活の始まりだったが、あることをきっかけに二人は打ち解けていき、サチとあやりは『新米姉妹』として、少しずつ絆を深めながら新たな生活を共に歩んでいくことになる。


そう、お気づきだろうか。







百合なのだ。(は?)


往年のテキストサイト並に改行をしてまで言うべきことなのかはさておき、この作品は実際に「百合作品」としての需要も高い。

※ちなみにこれを書いているヤギ子は百合のオタクを12年以上続けている。いつの間にか小学一年生が高校を卒業してしまった。怖…

百合と聞くと女性同士の恋愛を取り扱ったジャンルかと思われる方も多いとは思うが、実際は百合のファンの間ではもっと広義の意味で使われている言葉だ。言ってしまえば『女性同士の間に発生する感情や関係性全般』ぐらいのざっくりさで百合というジャンルは構成されている。尚、この話は長くなるのでここでは割愛する。(というか、百合の定義は意味が広く取れすぎることもあり、界隈ではややセンシティブな話題なのだ)


閑話休題。


『新米姉妹のふたりごはん』で描かれるサチあやりは恋愛関係に発展することこそないが(※)、全くの他人同士から心を通わせ合い、本物の姉妹であるかのように仲良くなっていく。そのようすは、多くの百合のファンの心をつかんで離さない。

※本当に発展しないかどうかは分からない。むしろ既にしているのかもしれない。可能性は無限である。突然の百合オタクの強火解釈やめろ

実際、古今東西さまざまな百合作品を取り扱っている百合のファン御用達のサイト『百合ナビ』さんにおいてもこの『新米姉妹のふたりごはん』は大々的に取り上げられることが多い。

『百合ナビ』さんのリンク。いつもお世話になっています。

また、サチとあやりの他に絵梨というサチの幼なじみも登場するのだが、その絵梨が急速に仲良くなっていくサチとあやりに少し複雑な感情を抱いているような描写も存在している。こういったテクニカルな関係性描写がこの作品の百合的な人気を高めている要因にもなっている。


メインテーマ

さて、前段でもったいぶって書いたサチとあやりが仲良くなった「あること」とは何か。それは料理である。二人は生活の中で料理をきっかけに打ち解け合い、仲を深めていくのだ。人間が生きていく上で欠かせない行為である食事、それを彩るための料理という行為は、二人の生活だけでなく、二人の関係性までもを鮮やかにしていく。

お互いの好きな食べ物、味付け、風味――。お互いについて何も知らなかった二人が、料理をきっかけにしてお互いのことを深く知っていく。生活に根付いた行為だからこそ、一日一日のそれが二人の仲を深めていく。

明日は何を作ろうか。あれを作ってあげたら、喜んでくれるだろうか。

そんなことを考え、相手のことを想いながら作る料理は、きっと多くの幸せが詰まっているのだろう――(ポエム増量中)


ちなみに、二人の再婚した両親は忙しくて海外を飛び回っており不在にしているため、サチとあやりは実質二人暮らしである。なにその往年のハーレムものラノベにありがちな設定。

また、この作品で度々話題になるのがサチとあやりが作る一般家庭の水準を優に越えている料理である。例えば第一話から生ハムの原木が登場したり、鹿の肉ラクレットチーズなど、なかなか一般家庭の食卓には並ばない食材が登場するのだが、女子高生二人がランクの高い食事をしているさまを見るのはなんとも不思議な気持ちよさがあると気づかせてくれる作品でもある。尚、生ハムの原木については作者の柊ゆたか氏の実体験に基づいて描かれているらしく、なかなかに迫力のあるエピソードである。


実写ドラマが放映中!!!!

そんな人気作品『新米姉妹のふたりごはん』だが、なんとアニメ化ではなく実写ドラマ化のほうが先に実現した。そしてまさにこの19年秋クールで絶賛放映中なのだ。

◆公式番宣動画

キャプチャ

テレ東系列なので見られない地域の方もいるだろう。しかしご安心いただきたい、なんとAmazon Primeでも配信中であり、さらに10/17まで(っていうか今日だが)なら第1話がニコニコ動画でも無料配信中である。太っ腹か?


でも実写化って…大丈夫?

そう、我々オタクにとって「実写化」というのは鬼門である。というのも今まで見慣れていた二次元作画が急にリアルの人間になるのだ。ある意味ロボットでいう「不気味の谷現象」に近いような違和感と受け入れなさを覚える方も多いのではないだろうか。

また、実写化というのは普段二次元コンテンツを受容しない方向けにある程度チューニングされることが前提と思われるため、自分の好きな作品が実写化された際に「原作の雰囲気と全然違う!!」といった嘆きの感想を抱いた経験のある方も少なくないのではないだろうか。

ただ、近年はそういった齟齬についてネットなどで可視化されることも増えてきたからか、作品によっては原作の雰囲気に近づけた作りの実写化も増えてきていると個人的には感じている。特に我々の分野で言えば、16年に放映された美少女百合麻雀漫画の『咲-Saki-』の実写化については、かなりの原作リスペクトを感じ、多くのファンからも好評だったように思う。

しかしながらやはりそうではない例も多く(ここについては個人的にある程度は仕方ない面もあるとは思うのだが)、我々オタクにとって『実写化』というのは未だに数歩程度の、人によっては何十歩ものスペースを空けて接してしまう展開というのが実態である。(そうじゃない人はゴメン)


さらにこの作品に限って言えばほんのりと香る「百合風味」がどの程度再現されるかも重要である。もちろん公式に「百合」を謳っている作品ではないので、そういった要素がなかったとしても何も文句は言えないのだが、しかしながらサチとあやりの間に生じる心の交流や、少しづつ確かに深まっていく絆の描写は『新米姉妹のふたりごはん』を構成する要素としては間違いなく無視できない要素であるため、このあたりの繊細さが実写化によってどうなるのかは非常に気になるところではあった。

やりすぎてもわざとらしくなるし、かといって薄すぎても作品の雰囲気を曲げてしまう。一体どうなっているのか……なるべくハードルを下げて視聴に臨むヤギ子であったが……?


原作を尊重した丁寧な実写化

結論から言うと、何も心配はいらなかった

もちろん、原作漫画に触れているときの感覚と、実写ドラマを見ているときの感覚は違う。それは視覚的な情報もそうだが、音声の情報や時間の流れ、間といった映像ならではの要素も大きい。よって原作を見ているときと全く同じ感覚になることは、どんなに優れた実写化でも基本的には無いことだと私は思う。しかし、そこから感じたものの根底がしっかりと結ばっていれば、同じエッセンスを感じることが出来れば、それはきっと素晴らしい実写作品なのだと思う。

実写ドラマ版『新米姉妹のふたりごはん』はそういった感覚にさせてくれる作品だ。

ドラマと漫画の大きな差の一つに、「漫画的表現」の有無がある。例えば「しーん…」「ゴゴゴゴ…」といった描き文字や、集中線、怒りマークなどの漫符、表情のデフォルメ表現などである。漫画に慣れているといちいち意識しないが、こういった漫画的表現は、視覚的に分かりやすくキャラクターの感情やシチュエーションなどを読者に伝えてくれる。

ドラマではそういった表現が無い代わりに、より分かりやすい描写が必要になることがある。

例えば原作の1話では新生活を始めた二人がそれぞれ気を利かせて下校がてら日用品を買ってくるのだが、偶然同じ種類のものを買ってきてしまい「あちゃ~」というシーンがある。ドラマ版はそこに朝方サチの使っている柔軟剤の香りを覚えていたあやりが、それを個別に買ってくるというシーンがオリジナルの描写として挟まれているのだ。

これは鋭い目つきなどで勘違いされやすいあやりの本来の優しさを分かりやすく表した良いシーンであると思う。何だかんだ原作では漫画的表現により、あやりのやや近寄りがたい雰囲気はあくまでそういうキャラ描写で、本当に怖い子というわけではないのだなとすぐ分かる表現になっているのだが、ドラマではなかなかそこは伝わりきらないからだ。

こうした描写一つとっても、ドラマ版『新米姉妹のふたりごはん』が原作及びキャラクターを尊重した丁寧な作りになっていることが伺える。


ドラマならではの「絆の描写」

さて、そんなドラマならではのオリジナルの描写は、二人の「絆の描写」(※)においても生かされている。

※ちなみにこの「絆の描写」とは「百合」と言いたいところをなんとか一般的な表現にしようとしたものであり、本当は「百合」と言いまくりたいことをご承知おきいただきたい。言わなくていいことを言うな。

当該の箇所は、ふたりが海外に居る父親から届けられた生ハムの原木を切り出していくシーンだ。これまで怖い印象だったあやりが表情を一変させ、料理好きで感情豊かな一面を見せ始めたことにより、サチとの距離感もぐっと縮まっていくといういわば「転換」の場面である。

原作ではここで生ハムの原木を削ろうとするあやりにサチが髪を結んでやるシーンがあり、突然の密接なコミュニケーションにあやりが若干緊張の面持ちで、されど頬を少し紅潮させながら髪を結ってもらうという表現になっている。

いわば若干百合風味を感じないこともないシーンなのだ。

しかしながらドラマ版ではサチはあやりにヘアゴムを渡すのみに留まっており、そこまでの密接なコミュニケーションには至らない。

とはいえ、それが原作の表現を曲げているかというとそうではなく、むしろ少し距離感を測りあぐねていたサチがあやりに対して一歩を踏み出したことが原作よりも分かりやすくなっているので、これはこれでいい表現になっていると思う。まあこういうアレンジもあるかと納得出来る範囲である。


ただ。


ここで終わらなかったのが実写ドラマ版『新米姉妹のふたりごはん』である。

原作では生ハムの原木を切るのはあやりだけだったのだが、ドラマ版では「私もちょっとやっていい?」とサチがその役を申し出るシーンが入る。そうしてあやりから受け取った専用の刃物を手に生ハムの原木を切っていくサチなのだが、どうにもあぶなっかしい。


「あっ!」


サチの刃物が滑り、慌てたあやりは咄嗟にサチの手をつかんでしまう。図書館で同じ本を同時に手にとってしまったときのような、なんだか気まずい、しかしなんだか照れくさい空気が二人の間に流れ出す。


画像2

「おいアンジェリカ、見てくれこの二人、こいつァ…」
「シッ、ダニー。それを口にするのは野暮ってものよ」
「(ジャパニーズYuri、"キマシタワー!!")」


と、まあさすがにそこまで露骨な感想にはならないが(↑何これ?)、思わず「おっ」となる演出である。その後「切り方…教えてもらえる?」と切り出したサチの言葉により、あやりは再びサチの手を取ってふたり一緒に生ハムの原木を切るシーンに移っていく。

ちなみに百合ものでよくあるシーンとしてピアノの連弾があるのだが、BGMも相まってまさにそれを想起させるような描写になっており、少し前までぎこちない会話をしていたサチとあやりが心を一つにし、手を取り合って一つのものに向き合うようすは、二人が新しい関係に踏み出したことを表すのにこれ以上無い演出だったように思う。


これらすべて、ドラマ版のオリジナル描写なのだ。


まるで原作からこういうシーンがあったようにも思えてしまうほど違和感がなく、そして意味を十分に持った描写である。そしてこの描写を追加するということは、それだけ制作側がサチとあやりの関係性及び絆の描写この作品にとって大事であると理解しているということでもあると思う。

先述のように、サチとあやりの関係性は多くのファンにとって『新米姉妹のふたりごはん』の魅力のうちの一つだ。そういった「ファンと制作側が同じ目線に立っている」と感じられることも、このドラマの満足度を高めていると言えるだろう。


ハードルを低くして臨んだ視聴であったが、気づけばあっという間にラストシーンまでたどり着いており、自然と「また来週も見よう」という気持ちにさせてくれた。何かと懸念されることも多い実写化だが、これだけのものを見せてくれた制作スタッフには(まだ1話ではあるが)感謝を贈りたい。


さて。ここまで5500字になる長々しい文章を見ていただいた方は、私の拙い文章が気にならない程度にはこの『新米姉妹のふたりごはん』が気になっていることではないだろうか。

実写版でも原作漫画でも、もしまだ『新米姉妹のふたりごはん』を見ていないという方は、一度胸に手をあてて考えていただきたい。

何故まだ『新米姉妹のふたりごはん』を見ていないのか。


もしそこに明確な理由がなければ、ご視聴またはご購読いただくことをオススメする。


◆各種リンク
Pixivコミック(原作試し読み)
Amazon Prime(ドラマ順次配信)
ニコニコ動画(10/17までドラマ1話配信中)


ヤギ子Twitterもよろしくお願いします

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?