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あなたはすでに誰かの一歩先を進んでいるがそれにまだ気づいていない

勉強をしていくうえで、絶望の谷とでもいうところに落ち込むことがある。

ダニング=クルーガー効果というものをご存じだろうか。
簡単に言うと「能力の低いものほど自分を過大評価し、能力の高いものほど自己を過小評価する」といったものだ。
ビギナーを一歩抜け出したくらいの人が「完全に理解した」と思う一方で、熟練の者が「チョットワカル」と謙虚になる現象だ。

ダニングとクルーガー氏の論文の是非や、それを下敷きにしたキュレーションサイト等でのこの説への誤解など、いろいろと鵜呑みにしてはいけない要素をはらんだワードであるが、今回注目したいのは「中級者の絶望」についてだ。

ダニングクルーガー曲線を鵜吞みにするわけではないが、学習を始めて中盤に達すると伸び悩みを感じて「完全に理解していた」はずが「なんにもわからない」状態に陥ることが経験的によくある。
学びによって視野が開けたからこそ今まで見えてなかった観点や問題が見えてくる。
学習者としてはつらい時期ではあるが、これはある種のイニシエーションである。
「学べば学ぶほどわからないことが増えて不安だ」という感想を抱くのであればその学習は順調であるといってよい。

絶望の谷に落ち込んだ人はついつい自分が最下層の人間だと思ってしまうのだが実際にはそんなことはない。

ぼくはTOEICの勉強をしているが、英語は特に苦手でまだベストスコアは700ちょっとである。
XなどのSNS上には化け物のような連中が跋扈しているので900オーバーだとかフルスコア勢がゴロゴロ観測できるが、実際にそのようなスペックの持ち主にはリアルであったことがほぼない。

化け物じみた点数を取る人々が多数いる界隈で710点というスコアを晒すのはいささか恥ずかしいのであるが、それでも晒すのは理由がある。
ぼくが初めてTOEIC L&Rを受けた時のスコアは確か420点くらいだったのだ。それを考えるとすごい成長だ。
同時期に受けた洋画好きの後輩は720点という今のぼくよりも高いスコアを取っていたが全然不満そうだった。
「そんなにいい点とって何が不満かね?」と当時は思っていたが今ならわかる。
結局現時点での自分の立ち位置を基準として考えてしまうのだ。

さて、いまTOEICのスコアが700点くらいのぼくは600点くらいの人たちから一歩だけ先に進んでいる。
その、600点台の人たちも500点台の人たちに比べると先行している。
TOEICを始めて受けて点数が400点くらいだった頃のぼくはTOEICを一度も受けたことのない人の先を行っている。
勉強を始めた時点で何もしていない人より少しだけ先輩なのだ。

「TOEIC400点のぼくがTOEIC初心者にアドバイス」なんて記事があったらあなたは笑うだろうか。
だがそれは誰かにとっては立派な先輩からの助言になりうる。

そもそもTOEICを知らない人がTOEICを知るきっかけになったり申し込みの仕方が分からなくて尻込みしていた人が申し込みをできるようになったとしたらそれはとても有用な記事だったということになる。

忘れないで欲しい。あなたは山のふもとではるか上の頂を仰いで途方に暮れているかもしれない。だが振り返ってみると自分は意外と高いところにいて、まだそこに到達していない人々から羨望の目で見つめられているのだ。

つい昨日TOEIC試験に申し込みをしたのでなんとなくこんな感じの記事になりました。
あんまり熱心なTOEICerではないのですが、それでも自分の実力を試すという行為自体に意義とか価値とかがあると思っています。
就職や進学のため受けるにしても「〇〇点以下は無価値だ」などとは考えないほうがいいでしょう。

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