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定義を覚えよ、公式は覚えるな

何度か「STOP‼ 公式丸暗記」というタイトルの記事シリーズを投稿している。
↓これとか

大事なことは何度でも繰り返すべきだと思うので今回も似たような趣旨で、しかしちょっと違った切り口の着地点の話をしたい。

ぼくは塾講師をしているのだが数学を教えている時に「先生、これって公式ですか?」といった質問をされることがある。
それに対してぼくはこう答える。
「そうだよ、だから覚えないでね」

多くの生徒は、いや、教師や講師もかもしれないが「公式は覚えなければいけないもの」と思っているようだ。
もちろん公式化されるくらいのものだ、大事であることは間違いないので覚えてもいい。
しかし、危険なのは「定義をおろそかにしたまま公式のみを丸暗記してしまうこと」である。

中学三年生の数学で春に「式の展開と因数分解」という単元を学ぶ。

「アタリマエ!」さんより引用:https://atarimae.biz/archives/22508

公式は上記のようなものだ。(高校生で習うものも混じっていますが)
教科書でも参考書でもこのように公式として羅列されているので「覚えなきゃ」と思う人は多いのだが、実は覚えなくても解ける。

そもそも式の展開の基本は分配法則である。
公式を使わずとも分配法則を用いれば式は展開できる。
因数分解は展開の逆の操作をすることなのだが、そちらも逆算の思考で分配法則を用いれば十分解ける。
そして公式を使わずに(あるいはなるべく頼らずに)解くことは理解をより深めてくれる。

公式を使うと見かけ上素早く解けるように思える。
しかしながらただただ何も考えずに数字を当てはめて解くことができるので理解しないまま解けてしまうという危険をはらむ。
だが、基礎をしっかり理解し(上記の例の場合であれば分配法則)そこから公式の意味を考えることができれば地に足の着いた応用が可能になる。

だから公式は覚えるものではない。使っているうちに覚えてしまっているものであるべきだ。

そしてこれは他のことにも広く応用できる。
ぼくは数学において守らなければならないもの(定義や計算の法則)を「ルール」と呼び、どちらでもよいが守った方が見栄えや体裁が良いものを「マナー」と呼んでいる。
例えば高次方程式の解を書くとき小さい順に(あるいは大きい順でもよい)書くのはマナーの一種であると思う。そうしなくても正解であるが、美しさを求めるならば気を付けたい。

ここで大事なのはマナーを強制してはいけないということだ。
マナーはホスピタリティの精神から生まれるものであり、それを守ることは美しかったりするが決して強制すべきものではない。
数学的に正解であるのにマナーが守られていないという点で不正解としてはいけないということだ。

算数界隈では何やら独特のマナーがまかり通っているらしく、先日も塾に通う生徒から「新しい担任の先生が筆算の式とか分数の割線を定規を使って書かないとバツにするタイプの人だった……(絶望)」みたいなことを聞いた。
実際に存在するのか、とぼくは大いに驚いた。
その生徒から理由を聞いてみると「定規を使える人は器用だ。器用な人は頭がいい。ゆえに定規を使って書けば頭が良くなる」といったアリストテレスも頭を抱えてしまいそうな雑な三段論法を展開しくさったそうだ。

その生徒は頭が良く、自分で思考できるタイプの生徒だったので「あんまり気にしないでね、心の中でどうでもいいと思いつつ適当にしたがっておいてね」とは言っておいたが、その子やクラスメイトのことを思うと不憫でならない。

マナーにおいて大事な定義は「思いやりの気持ち」であるというのは先述の通りだ。これは忘れてはならない。
そうすると「ナイフは外側から」とか「上座と下座の位置」とかの一つ一つのマナーは公式のようなものだ。(理由を知らずに丸暗記する人が多いのも似ていると思いませんか?)
細かい作法は正直間違えても大して問題ではない。
「巧詐は拙誠に如かず」という言葉もある通り、本質的な思いやりさえ持っていれば大概は許されるものだ。

どういう理由かわからないが本質をないがしろにしたまま自分の考える悪質なマナーを押し付ける悪徳マナー講師もいる。(マナー講師は全員悪質だという説もある。ぼくが提唱者である)
そういう人に騙されないために。
定義から、本質からスタートして、自分の頭で考えて、公式はいつのまにか覚えてしまいたいものだ。

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