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人が本気で悔しかったり惨めだった話は面白い

今月に入ってからはやめてしまったが半年ほどnoteを毎日投稿していた。
それほど凝った記事や文章を書けるわけでもないが日々のネタ出しには結構苦労していた。
「なにか皆様の訳に立つような記事を……」と思って勉強やら資格やら心理学やらの記事もたくさん書いたが、結構肩肘張った文章になってしまったなという反省がある。

noteの使い方は人それぞれだが、なんとなく「有用な記事」が正義なのかなと思ってしまう。
自分自身、あまり他人様の記事は読まないのですが、読むのは「役に立つ記事」が多いなと思います。

でも、だからこそだけれど役に立つ立たないは関係ない単なる魂の叫びをここに吐き出すのもいいんじゃないかなって思います。

ストーリーがあると人は惹きつけられる。
なんだかんだで物語には力がある。
それはかっこいい話や泣ける話に限らない。
タイトルにも書いたが「人が本気で悔しがったり惨めだったりした話は面白い」
この言葉はドラマ『だが、情熱はある』でラジオ界の重鎮、放送作家・藤井青銅氏がオードリー若林に言った言葉だ。

悔しかったり惨めだったことをさらけ出すのは本当に勇気がいることだ。できることならばそんなものは一生隠しておきたい。
だが、勇気をもって(あるいはほんのちょっぴり照れ隠しをしながら)それを赤裸々にえがいた文章はやはり読みごたえがある。

少し違う話かもしれないが、5ちゃんなどの匿名掲示板に時々胸を打つような文章を書く才能が現れることがあるのは、「掲示板の恥はかき捨て」だからなのかもしれない。

そんな恥部むき出しのやつらを見習ってぼくも私生活丸出しにした文章でも書きなぐってやろうかしらと思ったけれども、やっぱり勇気が出ないのです。
最近文章を書くのもちょっと疲れてきているので今日は短いけれどこの辺で。

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