見出し画像

北国の空の下ー週末利用、自転車で北海道一周 【3】 1日目 札幌〜留萌② 2015年5月2日 

「週末北海道一周」初日の記録。今回は、旧厚田村から、長いトンネルや高巻きで険しい海岸線を越え、雄冬岬までの道のりです。

◆ 厚田→長大トンネル地帯を抜けて

札幌から約40Kmを走って、厚田に到着しました。
ここのコンビニで休憩。ロードバイクが2台停まっています。共に私より少し年配と思われるサイクリスト。水分を補給し、大福餅をぱくついていると、二人とも内陸の当別町の方に向かって発って行きました。

浜益方面へ走っていくサイクリストを見かけないのはどうしてかな、と不審に思います。
この先、長大な送毛トンネルが控えてはいますが、そこまでは圧倒的な断崖が迫る波打ち際を行き、続いて海岸台地の上から日本海の眺望を楽しみながら走り、送毛トンネルを抜ければ、唐松の森の中を浜益までの快適なダウンヒルが待っているのですが。
札幌から全て自走で往復すると160キロ、という距離は、今日は帰路が強い向かい風なので厳しいからでしょうか。ならば増毛か留萌まで走り切って、輪行で帰れば良いのに、と思います。
 
厚田の集落を出ると、海岸段丘を一つ越えます。途中に展望台が設けられ、駐車場は車で埋まっていました。ここで夕陽を見ると恋人たちは結ばれる、という、日本海側では割合と各地で見かけるキャッチフレーズが掲げられています。

坂を下ると、いよいよ道は波打ち際に出ました。
海は若干の風波が立っているものの、今日の陽光のように穏やかと言って良いでしょう。かたや、右手には見上げんばかりの絶壁が迫っています。風化が相当進んでいるようで、落石対策のネットが全面に張り巡らされています。

この絶景の中を波音をバックに走るはずでしたが、程なくして左手に封鎖された旧道を分け、道は長いトンネルに入ってしまいました。私の学生時代と比べ、道路改良が進んでいるようです。

うむ、これが、浜益方面へ向かうチャリダーの少ない理由だったか。

かつてこの区間は、ガードレールを挟んで左手はすぐに海、また山側は暑寒別山系の山々がそのまま日本海に落ち込む断崖絶壁で、実に豪快な景観を楽しめるエリアでした。
しかし、その裏返しとして、冬は高波の危険も大きかったし、また絶壁は見るからに風化が進み、崩落の危険と隣り合わせでもありました。
実際、この先の雄冬岬では、1981年に開通したばかりのトンネルが崩落、復旧に3年を要し、その間、雄冬の集落は陸の孤島に逆戻りしていたといいます。
トンネル崩落、と言えば、1996年冬に積丹半島で発生した豊浜トンネル崩落事故も、海岸沿いの道路改良を後押しする結果になったのではないでしょうか。豊浜トンネル崩落事故は、巨大な岩盤がトンネルの天井を突き破り、ちょうど通りがかった路線バスと乗用車を圧し潰して、20名が亡くなるという痛ましい事故でした。

この先にある浜益、雄冬などへの物流、さらに緊急車両の通行というこの道の使命を考えると、優先されるべきは景観よりも安全性であるのは当然。そうわかっていても、景観に恵まれた旧道の方も、自転車や歩行者専用として残しては貰えなかったのかな、と思ってしまいます。もっとも、限られた人々の趣味のために、毎年膨大な維持費用はかけられないだろうけど。

少々問題なのは、長大トンネル内ではスマホがGPS電波を受信できず、私がサイクルコンピューター代わりに使用している「ランタスティック」というアプリが作動しないことです。トンネル通過中は、距離もスピードも判らぬままに、ただコンクリートの坑内を走り続けるしかありません。

◆ 濃昼→新送毛トンネル

連続する4つのトンネルを抜けると、道は渓流に沿って内陸に入り込み、半ループ状に弧を描いて、海岸段丘上へ登っていきます。寒々しい暗闇の中を数キロばかりも走った後なので、萌黄色の新緑が眩く、木立から聞こえる鳥のさえずりも耳に心地よく響きます。
高低差50メートル程度の短い登りの後、濃昼トンネルを抜けると、左手に海を見下ろし、時に海に流れ落ちる沢を渡りながら、緩やかな弧を描いて走っていきます。以前から、このルートの中で、最も好きな区間です。
日本海というのは厳しく陰気な印象を受けてしまう海ですが、今日は濃紺の水面が陽光を反射し、南からの風が強いためか、うろこ状のうねりが見えます。大河のゆったりした流れのよう。展望台など妙な人工物がなく、海岸段丘の斜面をただ道が伸びてゆくのが良い。

▲ 春の日本海
▲ 北へ向かう道

その先、一旦、内陸方面へ下り、再び登りにかかります。今日の行程の中では最大の高低差、と言っても200メートルにも満たないが、ともかくも登りがあって、その先に長いトンネルが待つ送毛越えです。
このあたりは全般に地勢が険しいが、中でも送毛は濃昼岳がそのまま海中になだれ落ちる険阻な地形で、海岸沿いに道を敷くことは不可能。オロロンラインは大きく内陸に回り込み、長いトンネルが濃昼岳の主稜を貫いています。
もっと海岸寄りで山を越える古い道もあるにはあり、学生の頃走ってみたことはあります。しかし深くえぐれたダートの路面で、自動車でも大変な苦戦を強いられました。これが改良されている可能性は限りなくゼロに近いと考えて忌避、国道をそのまま進みます。

中高年のロングライドでは、上り坂も無理に重いギヤを踏まず、周囲の風景の中に自分と愛車を置くような気持ちで、陽光に目を細め、鳥のさえずりに耳を傾けながら、ゆるゆると登るのが正解。心拍数の変動を抑えるほうが、体脂肪も燃えやすくなります。
そろそろ走行距離は70キロ、腹も減って体が大休止を求めてもいます。時速13~5キロ程度でゆるゆると上って行きました。

すると「新送毛トンネル」なる銘板を掲げた、立派な坑口が姿を現しました。かつての送毛トンネルは、さらに斜面を詰めた先にあったはず。学生時代、いつ通っても工事中という不思議なトンネルだったのですが、今では放棄されてしまったようです。
新送毛トンネルの内部は、緩やかな上りとなっていました。これで向かい風だと目も当てられないことになりますが、今日は幸い、風は背を押してくれます。路面状態も良いので、スムーズに前へ前へと進んでくれます。
しかし坑内は肌寒く、背後から聞こえる自動車の爆音に追い立てられているような強迫観念に囚われ、何よりも景色に全く変化がなく、ただ出口の明かりばかりを追い求めて走るわけで、どうやったって快適なものにはなり得ません。
3000メートル近いトンネルをひたすら走り抜けると、残雪を戴いた暑寒別岳が眼前に姿を現しました。肌に陽光のぬくもりを感じ、ほっとしました。 

▲ 新送毛トンネル出口から、残雪の暑寒別山系を望む

◆ 新送毛トンネル→浜益

大きな弧を描きながら、カラマツ林の中を、海岸線へ駆け下ります。この辺は、晩秋になると、山の斜面がカラマツの黄葉で染まっていたのを覚えています。半ループ状に下っていくので、360度全てを見渡すことができるわけですが、海に向かった開口部を除いて、視界の全てが黄金色に染まっている中を緩やかに下っていくという、素晴らしいダウンヒルでした。
今日は、まだ春浅き新緑に包まれて、雪山を仰ぎながら下っていきます。

山から渓流が流れ降ってきます。毘沙別川です。
護岸工事のされていない自然のままの流れを見ると、川は本当はこうやって流れているのだよなあ、と懐かしさを覚えます。

下りきって、少々疲れを感じながら、しかし最初の難所は越えた安堵感に包まれながら、左に海を見て走りました。
やがて、浜益富士の異名を取る黄金山の円錐状の山容が姿を現しました。標高は800メートル足らず、しかし独立峰ゆえの存在感があります。山頂からの日本海の眺望は素晴らしいそうです。

浜益はかつては浜益村として独立した行政区でした。しかし、町村合併により石狩市の一部となったことで、単なる海辺の一集落といったポジションになってしまい、人々の営みの火が弱くなってしまったような印象を受けました。過疎化の進行で、商店やガソリンスタンドの閉鎖跡ばかりが目につきます。その集落の中心部で、数軒の食堂が営業していました。ホッキ貝カレー、というのを食べて、海岸の草地の上で身体を伸ばしました。

さて、ここまでは学生時代に何度も走ったことのある旧知の道。
30年の歳月を経て道路状況は相当変化しているものの、集落の間の距離感とか、どこに登りがあるとか、イメージを持っている安心感がありました。
この先は、1~2回走ったことがあるだけで、事情のわからない道となります。わかっているのは、ここまで同様かそれ以上に、地勢の厳しいエリアだということだけ。

この先の雄冬岬は、永らく海路でしかアプローチすることができず、陸の孤島と呼ばれてきました。

降旗康夫監督による名画「駅ーStation」では、高倉健演じる主人公が雄冬の出身という設定であり、年末に帰省しようと増毛まで来たものの海が時化てなかなか船が出ず、そのうち倍賞千恵子演じるところの居酒屋の女将と通じ合う、という筋立てでした。その中で、来年には国道が雄冬にも通じて、札幌から観光客がたくさんやって来るようになる、という会話が出てきました。1980年、という設定だったと記憶しています。

しかし、私が札幌で学生生活を送っていた1980年代後半でも、雄冬を経て増毛に通じる国道232号線は未だ冬季通行止めであり、増毛からの船が欠かせない生活の足でした。通年アクセスが可能になったのは1992年のことです。。

こういう地勢の場所では、長大トンネルが待ち構えていること必定ですが、思いつきで出発してきた故、下調べもしていなければ地図も持っていないので、様子が判りません。
ともかくも、ここまで来てしまったのだから進むしかないわけであります。

◆ 浜益→雄冬岬

一段と交通量の少なくなった国道を北へ向かいます。漁港を過ぎると間もなく道はやや内陸に入り、ちょっとしたアップダウンが繰り返されました。右手には、早春の青空を背に、未だ白銀の暑寒別岳が、ゆったりと稜線を引いています。その雪解け水が、新緑の森の中を海へ向かっていきます。透明感のある水の軌跡がなんとも美しい。

2ヶ月前まで住んでいたタイでは、地方に行っても水は赤土で濁っていることが多く、その前に住んでいたインドネシアではゴミがものすごく、こういうごく当たり前の澄んだ渓流がそこにあるのが嬉しいのです。

▲ 清流と残雪の山々

幌という集落を過ぎ、久々で波打ち際に出ました。正午近くなって日も高く上り、背中がぽかぽかと気持ち良い。

正面には雄冬岬の断崖絶壁が見えます。海岸線を辿る道は見当たらず、また長いトンネルか高巻きか、厳しい道が待っていそうです。

▲ 前方に待ち受ける雄冬岬の絶壁

 果たして、間もなく長いトンネルに突入しました。このトンネルは工事中で、坑内は鉄骨が組まれて物々しく、強い圧迫感がありました。やがて、新しい坑口が右に開けている箇所を通過。後で調べてみると、このトンネルはガマタトンネルといって、この坑口から、先にある雄冬岬トンネルの途中まで、陸側に新しいトンネルを掘って接続し、「新雄冬岬トンネル」とする工事をしているそうです。新しいトンネルは総延長4.8キロとのことであり、広尾から襟裳岬へ向かう黄金道路にある「えりも黄金道路トンネル」に並び、北海道最長クラスとなります。

ガマタトンネルを抜けると、急峻な岩場に見とれる間もなく、タンパケトンネルに入りました。このトンネルはさほど長くないが、豊浜トンネル事故の後、崩落や出入り口の高波など、危険が大きいトンネルの一つにレーティングされたようです。対策としてこのトンネルを陸側に避け、新雄冬岬トンネルを掘削することになったようです。

タンパケトンネルを抜けると覆道があり、その先にトンネル工事の現場事務所が設けられていました。この地点から着工し、両側に掘り進んで、ガマタトンネルと雄冬岬トンネルを接続するそうです。

すぐに雄冬岬トンネルに突入し、再び暗がりの中、ひたすらペダルを回しました。右側から新たなトンネルが合流してから、出口まではまだしばらくかかりました。

トンネルを抜けると、そこが雄冬岬でした。
右手の絶壁は落石除けのネットで覆われています。
見事な滝が絶壁を侵食して海へ流れ落ちていました。

▲ 雄冬岬の滝
▲ 岬の碑とコルナゴ・プリマヴェーラ

※引き続き、雄冬岬と増毛を隔てる険路を越え、「駅ーStation」の世界に想いをいたしつつ、春の日本海を北へ走ります。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

アウトドアをたのしむ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?