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私は、ぐずぐずしている

私はいま、ぐずぐずしている。

少し前、ツイッターかネット記事か忘れたけれど「作家というのは、筆を執るまでのぐずぐずしている時間がほとんどである....」みたいな内容の、誰か歴史上の人物の格言を目にした気がする。とまあ、「気がする」だけで本当はそんなの目にしていないか、はたまた夢の中で生まれた私の妄想だったのか、あとからインターネットで「作家 ぐずぐず」「書く ぐずぐず」などと何十回検索しても、該当するつぶやきにも投稿にも記事にも辿り着くことができなかった。代わりに検索結果に並んだのはどれも、「ぐずぐずしている暇があるなら....」「ぐずぐずしている時間ほど無駄なものは....」といった類の、私が探していたのとは真逆の格言ばかりだった。

私はいま、ぐずぐずしている。何をぐずぐずしているのかというと、これまた何と言ったらいいのかわからないが、ぐずぐずしているのだ。一歩前に出た右足と、後ろに残ったままの左足。そのあいだで、体の重心が前に後ろにゆらゆらと揺れている。身体は前進も後退もしない。ただ、足の裏に張り付いた床がぎしぎしと鈍く乾いた音を立てているのが耳を突く。そんな感じだ。私はぐずぐずしている。

ぐずぐずしていると感じるのはそもそも、自分の中でせっつく何かがあるから、というのはわかる。何かにせき立てられる気持ちがなければ、ぐずぐずしているなんて気持ちは生まれない。自分の中で何かが動こうとしているが、なんとなく何もできていなくて、膨張するばかりの脳味噌が頭蓋骨とこすれ合い、頭の中が痒い。今までしばらくこんな気持ちとは離れた場所で比較的平らな毎日を過ごしてきたのだが、困ったものだ。こういうのは忘れた頃に奇襲をかけてくるものだ。

人生とは、ぐずぐずしている時間の積み重ねみたいなところがある。決意を固められない、迷い悩みくよくよする、思いを伝えられずに一日が過ぎる、起こってもいない失敗を恐れる。長いにせよ短いにせよ、そうやってぐずぐずする時間がある。足踏みを繰り返すだけの日々がある。しかし、いつかはその足踏みの足を一歩を前に突き出すか、はたまた動きを止めてしまうか。選択しなければとにかく消耗し続ける。どのタイミングで歩みを進めてもいいし、時には歩みをすっぱり止めてみるのもいいかもしれない。どちらが自分により良いかは、ぐずぐずを抜け出してみなければわからない。そのぐずぐずに価値があったのかも、終わってみなければわからない。

私はいま、久しぶりのぐずぐずと取っ組み合いの喧嘩をしている。願わくば早く切り抜けたいところだが、どうなるか。結局、「筆を執るまでぐずぐずの時間をじっと過ごす」というどこかの作家の格言は、いまも全然見つけられずにいる。あれは、私の空想だったのだろうか。彼はどんな気持ちでぐずぐずを過ごしたのだろうか。

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