見出し画像

「幸せ」の範疇(はんちゅう)

「幸せ」とは何か?

それに対する答えは、一つではないだろう。「幸せ」は、人それぞれに形がある。人の頭の数だけ(あるいは頭の数以上に)「幸せ」の形が存在する。

私は仕事でもプライベートでも、図らずも年上の人と関わることが多い。ひと回りに止まらず、ふた回りも、いやそれ以上も年上の人とも話すことが度々ある。

彼らは長く生きている分だけ、やはり人生における経験にもそれなりの厚みがある。(長く生きていれば、経験というのはどういう形であれ増えていくものだ。)一方、彼らから見れば、私は20代前半の“子ども”である。彼らは私のような“子ども”と話すのが面白いのか、親の心めいたものが疼くのか、私にいろいろなことを教えてくれる。彼らがまだ“子ども”だった頃の昔話や、彼らの経験を踏まえたうえでの人生指南など。

どうも世間一般に言わせてみれば、私も「年頃の女」という言葉が似合わなくもない年齢になったようである。自分ではずっと12歳のままだと思っていたが。いい年を放くと、黙っていてもいろいろと物問われることも少なくない。

たとえば、結婚を経験している人(それがどういう形であれ)からは、結婚について指南をいただくことがある。結婚はいいよとか、そろそろ頑張った方がいいんじゃないとか。彼らには残念な知らせだが、私は今ものすごく結婚願望があるわけではない(今すぐ結婚したい相手がいないからだが)。だから、今はあまり考えられないんですよね、などと適当に答える。

今後の人生設計のことに関しても同じだ。私が適当なこと(彼らにとって適当に聞こえるようなこと)を答えると、それでは食っていけないんじゃないかとか、少なくともこうしておくのが真っ当なんじゃないかとか、いろいろな意見をいただく。

彼らが私のことを心配してくれたり、世話を焼いてくれることは、とてもありがたいと思っている。どういう指南や意見であれ、彼らが私の「幸せ」を考えていろいろ言ってくれているのが、私にはよくわかっている。(なぜなら私は彼らが好きだし、彼らも私のことが好きだと感じ取れるからだ。)

しかし経験を重ねれば重ねた人ほど、彼らは彼らが感じてきた「幸せ」に照らし合わせながら、他人の「幸せ」を考える気がする。私は、それは決して間違った方法ではないと思う。なんというか、他に為す術がないのだと思う。何が「幸せ」かなんて定義もなければ辞書にも載っていない。だから頼るものは、やはり自分の経験や見聞きしてきた「幸せ」しかないのだ。

たとえば幸せな結婚をした人は、まだ結婚を経験していない人に指南したくなるかもしれない。幸せな結婚に破れた人は、結婚などするなと言うかもしれない。自分の人生設計での成功例に基づいて、誰かの人生の向かう先を“軌道修正”してあげたくなる人もいるだろう。なぜなら、彼らは他人にも「幸せ」になって欲しいと願っているのだ。

もどかしいのは、その「幸せ」は時に、彼らの中だけのものだということだ。彼らは私に「幸せ」になってもらうためにあれこれと言ってくれるが、私がその「幸せ」の形に興味がない場合、彼らの言葉はまったく私の心に入って来ない。まるで、薄いガラスの壁の向こう側で私に向かって必死に何かを伝えようとしているのに、私にはそれが全然聞こえなくて、ただ薄ら笑いを浮かべるしか術がないような。そして彼らは諦めて、自身の息で曇ったガラスにこう書くのだ、「君が『幸せ』になることは難しいかもしれない」。私の耳には結局何も残らず、ガラスの文字の向こうに映った彼らの困ったような笑顔が浮かんでいるだけだ。

そもそも「幸せ」とは、他人のそれとまったく同じであるはずはない。何に「幸せ」を感じるか、それには範疇(はんちゅう)みたいなものがあると思う。人々の「幸せ」の範疇は、重なり合っている部分もあれば、まったく重なり合っていない部分もある。重なっていてもその色の濃さはバリエーションに富んでいるだろうし、何かをきっかけにその範疇はいとも簡単に広がったりも縮んだりもするだろう。だからこそ、似たような「幸せ」を共有できる人もいれば、他人が「幸せ」と呼ぶものを「不幸」と呼ぶ人もいるのだろう。

もし誰かが自身の「幸せ」の範疇に私を無理矢理引き込もうとするならば、私はこう思っている。「あなたの『幸せ』の範疇の中に私が綺麗すっぽり収まるなどと思ったら、それはとんだ見当違いだ」と。しかし同時に、それが彼らなりの優しさであることも、よくわかっている。だから時々苦しくなるけど、私はその優しさの上澄みだけは掬ってあげたいな、とも思う。

人の「幸せ」の範疇に土足で踏み入るようなことはしたくないけど、誰かを強く想うなら、時には「幸せ」の範疇に探りを入れなければならないこともある。そのくせ、自分の「幸せ」の範疇はどこか絶対的な聖域のようにも感じている。人間ってそういう、面倒でわがままで、自分勝手な生きものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?