見出し画像

人は、「言わないこと」で出来ている|映画『ローマの休日』に思うこと

Anya, There's something that I want to tell you.
(アーニャ、君に言いたい事がある)
No, please... nothing.
(言わないで... 何も)

映画『ローマの休日』を初めて鑑賞した。白黒映画は正直、あまり観たことがなかった。というか、無意識に敬遠していたのかもしれない。古くさいし、CGや特殊効果があるどころか、何と言ってもやはり白黒なのである。

親しい人が「一番好きな映画だから」と嬉々として貸してくれた『ローマの休日』のDVD。名作中の名作であることは承知だったので、いつかは観なければならないと思っていたが、ついに観ることができた。白黒だからだろうか、オードリー・ヘプバーンの華麗さはもちろん、切ない恋の美しさ、何とも言い表しようのない人間の情感が、どんな色よりもはっきりと浮き彫りになっていた。色のないその映画は、私がこれまで観てきたどの映画よりも鮮やかな美しさを秘めていた気がしてならない。

ところで、ここからは若干のネタばれになってしまうので、もしこれから『ローマの休日』を事前情報ゼロで鑑賞したい方は、ここから立ち去って映画配信サイトやレンタルショップに向かっていただくのが賢明である。ネタばれしたとしても楽しめる映画ではあるので、気にならない方はこのまましばしのお付き合いを。

『ローマの休日』は、パリはローマに公務で訪問していた英国王女・アン(オードリー・ヘプバーン)が主人公だ。分刻みの公務スケジュールや王室での厳しく伝統的な生活に息を詰まらせ、アン王女は側室たちに黙ってローマの街へと逃げ出してしまうという物語。ローマの街で偶然出会った新聞記者の男・ジョー(グレゴリー・ペック)に助けられながら、アン王女はつかの間の“休日”を楽しむ。しかし、楽しい休日はあっという間に過ぎ、二人に別れの時がやって来るーーそんなあらすじだ。

アン王女は「アーニャ」と偽名を名乗り、自分が王室から逃げ出してきた王女であることをジョーに隠している。しかし、新聞記者のジョーは当然ながら「アーニャ」が王女であることにはすぐに気付き、王女の“家出”を大スクープとして世に出すことを密かに企む。街に繰り出し、アン王女にタバコを体験させてみたり、バイクで二人乗りしてみたり、一般のツーリストのように観光地に出かけたり。しかし、アン王女に心惹かれたジョーは結局、彼女の“家出”というスキャンダルを世間にばらまくことを踏みとどまる。

さて、ここで冒頭の台詞である。

ジョーは、自分はアン王女を記事ネタとして売ろうとしている新聞記者であると、彼女に打ち明けようとする。(これは憶測だが、彼女を好きになってしまった、と言おうとしたのかも)。しかし、アン王女は「言わないで」と彼の言葉を遮り、抱きしめる。結局二人は、互いに本心も正体も明かさぬまま、別れを迎える。二人が過ごした甘い“休日”も、世間には知られることがないまま。

二人の、内に秘めた思いが滲み出た表情がとても美しくて、私は感慨に打たれた。

誰しも、口に出さずに心に留めていることの一つや二つくらい、あるものだ。私も、どちらかといえば大事なことは口に出さない主義である。とりわけ、本当にやりたいこととか、叶えたい夢とか、特別な感情とか。大事なことは口にすれば「言霊(ことだま)」となって現実になる、という考えももちろん理解しているのだが、私の場合は言うとそれで満足してしまうというか、大事な物事ほど口に出すことで「成仏」し、あっさりと消えてしまうことが何度かあった。だから、大事にしたいことほど大っぴらに言わないようにしている。言わないというか、言えないのだ。

私たちは、口に出して言っていることだけがすべてではない。むしろ、人は「言わないこと」で出来ていると思う。誰しも、心の奥に秘めていたり、抱えていることが何かしらある。口にしていないことの方が、その人の「本心」を形作っている可能性もある。インターネット上でのキャラクターや表面的な印象の裏側で、人間にはもっと形容しがたい感情が渦巻いていることは往往にしてあると、少なくとも私はそう思っている。なぜなら、私もその一人だからだ。

「君に言いたい事がある」
「言わないで。何も」

「言わないこと」の中にひとときの愛を仕舞ったアン王女とジョーが、切なく美しい。きっと、二人だけが永遠に生きてゆける秘密の世界として、彼らの心の奥に在り続けるに違いない。「言わない」からこそ、時に心の中に強烈に残り続けるものがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?