あの子のインスタグラム

私はインスタグラムにはまったく縁の無い人間だ。いや、縁が無いというのはちょっと言い過ぎかもしれない。一応アカウントは存在しているが、中途半端に投稿した落書きが並んでいるだけになっている。有名なインスタグラマーをフォローしているわけでもなければ、友達のストーリーを追うわけでもない。「見る専」でさえない。おそらく使うことが無いだろうと薄々感じながら開設したアカウントは、予想通り満足には使われていない。スマホのスクリーンの中、洒落たグラデーションは雑多なアプリの群れに埋もれている。

しかしそれでも、時々インスタグラムの通知が届く。私宛ての“いいね”の通知ではもちろんない。「〜〜さんが写真をシェアしました」といった旨の、何でもいいからとりあえずアプリを開けと言わんばかりに、笑顔でまくし立ててくるようなあの通知だ。残念なことに、私のものぐさが圧倒的に勝利しているので滅多にその通知を快諾することはないのだが。

それでも、時々アプリを開くときがある。ある友人を、インスタグラムの写真を通じて見るのが好きだ。その友人は遠い外国に住んでいるので、簡単に会うことはできない。普段からメッセージのやりとりを頻繁にするわけでもない。ただ、私が外国でとても世話になった大好きな友人で、同様にあちらも私を慕ってくれた。

友人は当時、生活に苦労していた。とくに、なかなか仕事が見つからないことや人間関係で悩んでいた。理不尽や上手くいかないことが多いとよく不平を漏らしていたし、我慢しきれずにべそをかき始めることもあった。しかし、私はその友人が大好きだった。友人が放つ、いやに皮肉の効いた冗談がとても好きだった。考え事をするときにあごに手を当てながら斜め上を見上げる、絵文字さながらの滑稽な仕草が好きだった。

友人に出会った頃から数年が経った。仕事帰りの電車の中、何気なくスマホを取り出すと、インスタグラムの通知があった。「〜〜さんが写真をシェアしました」。インスタグラムを開くと、そこには職場の仲間と楽しそうにピースサインをしている友人の姿があった。大きな笑顔、自信が目に見えるようだ。私はつくづく良かったと思うと同時に、なんだか少し元気が出た。友人が幸せなら、私も何よりである。何千キロも向こう側、友人の人生は良い方向に向かっているようだ。

案外、薄っぺらな“映え”ばかりでもないようで。たまには開いてやってもいいか、インスタグラム。

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るみ氏

にっきみたいなかんじ。日々の中で考えたこと・感じたことを書きます。#エッセイ #日記 が多めです。
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