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思い出の一曲

街を歩いているとき。お店で買い物をしているとき。友達と居酒屋で飲んでいるとき。

私はよく、その場に流れている気に入った音楽をスマホで検索している。

このご時世、流れている音楽にスマホをかざすだけで曲名もアーティストも教えてくれる賢いアプリもあれば、聴こえてきた歌詞を数単語インターネットの検索窓に並べるだけで、すぐに探していた曲にたどり着くこともできる。

私はそれをする度、技術の発展に心から感謝すると同時に、懐かしくよみがえる思い出と一曲がある。

小さい頃、私は自分の好きなものを口に出すのが恥ずかしくて、いつもなんとなく口ごもったり、隠したりしていた。特にそれが人物だと、ますます口に出すのが恥ずかしくて、なかなか言い出せない性分だった。

好きな芸能人や好きなアーティストも、なかなか口に出せなかった。なぜかは、わからない。テレビを見ているとき、親に「好きな芸能人は?」と聞かれた私は、「う〜ん、わかんない」とごまかしながら、なかなか答えなかったのを今でも覚えている。

昔、両親が押入れの収納ケースにしまっていたカセット・プレイヤーを、夜中にこそこそ引っ張りだしては音楽を聴いていた。べつに、素直に「これ使いたいから、貸して」と言えばよかった話なのだが、私はなぜか毎晩、両親の目を盗んでカセット・プレイヤーを使っていた。(おそらく当時は、親に隠れてこそこそ何かをすることそれ自体が、子供心に楽しかったのかもしれない。)

カセットに入っていたのは、セリーヌ・ディオンのアルバムだった。耳なじみが心地よく、とても素敵な音楽だと思った。好きだと思った。それが、私が初めて洋楽に触れた瞬間だった。

それからというものの、両親のたんすの引き出しに入っていたバックストリート・ボーイズの「ミレニアム」のアルバムを聴き倒したり、もともと洋楽好きだった年上のいとこからダビングしてもらった海外アーティストのMDをたくさんもらったり、ラジオに熱心に耳をそばだてるようになった。

小学二年生の頃だっただろうか。ある日、いとこの家族の車に乗って出かけた。いとこの車では、いつもよく洋楽が流れていた。私はいつものように耳をそばだてて聴いていた。すると、ある曲に耳を奪われた。その曲は、それまでに聴いたことがないようなリズムやメロディーラインで、とてもかっこよくて、私はすごく好きだと感じた。

でも、私は好きなものに対してなかなか「好き」と言えない性分だったので、とても困った。「これって誰の曲?」のたった一言が、喉の奥に引っかかってなかなか出てこない。その曲が好きというのを、なんとなく知られたくなくて、恥ずかしかったのだと思う。ただただ、心臓の鼓動が速くなるだけ。

もじもじしている間に、曲は終わってしまった。結局、曲の名前も、誰が歌っているのかも、わからずじまいとなった。音楽は次へ次へとどんどん進んでいくが、私は“その曲”のメロディーがずっと頭から離れなかった。

その後は、好きな曲の名前を絶対に聴き逃したくないと思うようになった。小学生の頃は、小さなメモ帳と鉛筆を持ち歩くことにはまっていた。暇なときにマンガを書いたり、ふざけた手紙を書いて人に渡したりしていたのだが、ラジオが流れているときはよく、熱心にメモ帳と鉛筆を握りしめていた。ラジオで気になる曲が流れた時に、その曲名やアーティスト名を忘れないようにメモするためだ。

でも、メモ取りがいつも上手くいくとは限らなかった。ラジオDJの発音が良すぎて何を言っているのかわからなかったり、車に乗っている時は音がよく聞こえなかったり、曲が終わっていざメモしようと意気込んだら、曲が始まる前にすでに読み上げられていて結局わからずじまいだったり。

それでも、その時になんとかメモした曲のいくつかは、今でもお気に入りで覚えていたりする。(最近始めたギターで弾いたりもしている。)

それから数年後、たしか中学生か高校生の頃。再び、いとこの車に乗る機会があった。いつものように車内で流れる音楽に耳を傾けていると、ドキリとした。突然流れてきたのは、ずっと曲名がわからなかった、小学二年生のあの時に聴いた曲だった。

私はとてもうれしかった。長い年月を経て久しぶりに耳にしたリズムやメロディーだったが、あの頃とこれっぽっちも変わらず、心地良く感じた。

それと同時に、少し緊張した。あの時と同じ言葉が、喉の奥まで出かかっていた。でも、もうこれ以上のチャンスはないと思った。それに、昔よりも「好き」を言える勇気があった。

「....ねえ、この曲、何ていうの?」

あ、やっと言えた。やっと聞けた。私はドキドキと鳴っていた心臓がホッと緩む感覚を覚えた。いとこは、すぐにアーティストと曲名を教えてくれた。図らずも、曲名はサビのメロディーの歌詞と同じだったので、少し拍子抜けした。はっきりとは覚えていないが、気が緩んだ私はいとこに、昔この曲を耳にしてからずっと誰の何という曲なのか気になっていたこと、そして何年越しくらいで今やっとそれがわかったことを、言い漏らした気がする。

いま、スマホのアプリにたった数秒音楽を聴かせるだけで曲名がわかるし、インターネットで少し調べれば容易に目当ての曲にヒットするようになった。とても便利だし、もじもじして曲の名前を聞けずにいた自分や、ラジオに食いついて必死でメモを取っていた自分に教えてあげたいくらいだ。

でも、何年もかけて奇跡的にたどり着くことができたあの曲は、私にとってとても思い出深いものとなった。いつか大人になってからもう一度どこかで聴いたら今度こそは「この曲なに?」と尋ねられるよう、ときどき思い出しては頭の中で再生して、必死に忘れないようにしていたあの頃が懐かしい。

いまは、簡単にいろいろなものが手に入るようになった。昔は手に入らないものが多くてもどかしいこともあったが、なかなか手に入らないものだからこそ、思い入れはより一層深くなるのかもしれない。まあ、それはいまもきっと、変わらないと思うけどね。

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