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「ねえ、筆箱みせて」

小学生の頃、よくクラスメイトたちに「ねえ、ちょっと筆箱の中みせて?」と聞いて回っていたのを、ふと思い出した。

学童は、基本的に勉強に関係のないものは学校へ持っていくことはできない。とくに、制服があったり学校の規則が厳しかったりすると、服装や身だしなみをいじくることも難しい。カバンや学用品に指定がある学校もあるし、規律がビシッとした学校の場合は、アクセサリーを付けていくことなど以ての外だろう。

そういった状況の中で唯一、自由に自己を表現できる手段に、文房具があったと私は思う。とりわけ、筆箱やその中身には、その人らしさが宿ると無意識に考えていた気がする。

いまの小学生たちにどんな文房具が流行っているのかはよく知らない。ただ、私が小学生の頃は、鉛筆削りや小物入れがいろいろなところから飛び出す仕掛け付きのゴツい筆箱とか、モーニング娘。やポケモンが描かれたエナメルのどデカい筆箱とかが流行っていた。(それを持っていった日にはだいたいクラスで注目を集め、毎回の休み時間にみんなが筆箱を触りに来る。)中学生になると、流行りのキャラクター柄だったり、ちょっとお洒落なブランドを彷彿とさせるモデルの筆箱を持つ人もいた。

筆箱だけでなく、その中身もさまざまだ。中に入っているのは、香りのついたボールペンやカラフルなカラーペン、六角形の面にいろいろ描いてあるのを転がして遊べる鉛筆、好きな色をカスタマイズできる多色ペン、書いては消せる魔法のペン.... あなたもきっと、覚えていることだろう。

さて、これは自論だが、私の記憶では派手でクラスの中でも目立つタイプの女の子たちは、絶対と言っていいほど筆箱の中身が充実していた。色や太さや質感の違うカラーペンがじゃらじゃらと、20本も30本も入っている。そしてそのほとんどは、勉強用ノートではなく交換ノートや授業中に先生の目を盗んで書く手紙のデコレーション用に使われていた。私はといえば、どちらかと言えば質素で、本当に必要なものを選り好んで使うタイプだった。だから、筆箱もいつも小さめで、中身もそんなに多くを持っていなかった。だが、それで満足していた子どもだった。

とはいえ、例の女の子たちが持つじゃらじゃらと重たい筆箱は、少しキラキラして見えた。私は休み時間によく、「ちょっと筆箱をみてもいい?」と尋ねては、クラスメイトたちの筆箱の中を覗いて回るのが大好きだった。筆箱を覗いていると、なんだかその人の頭の中を覗いているような気分になるのだ。

カラフルなサインペンをやたらと持っている子は、だいたいイケてる丸文字でイケてる手紙を書ける。このペンの香りはすごくセンスがいいけど、これはすごくおかしな匂いがする。この子は何に使うのかもわからないほど芯の細い最新モデルのシャープペンばかり揃えて、たぶん流行りに乗るのが好きなんだな。この手垢だらけの真っ黒な練り消しゴムは、きっと授業をそっちのけで作ったのだろう。おや、この消しゴムはやたらと綺麗だ....おっと、巻き紙の内側に男の子の名前が書いてある(見なかったことにしよう)。

とか、そんなことを思いながら、私は人の筆箱の中をごそごそと漁っていたような気がする。

あの頃の私たちにとって筆箱や筆箱の中身というのは、自分の好きなものや心地良いと感じるもの、あるいは「その人らしさ」を寄せ集めた、宝箱みたいなものだった。私はその人が普段どんなものを使っているのか、どんなものに惹かれ、何を集めているのかが気になって、それを覗き見るのがとても楽しかった。その中でいいものがあれば真似をしたり、自分の筆箱の中身と違いを比べてみたりするのが面白かった。

いま、私は大人になった。さすがにもう、人に「ちょっと筆箱みせてください」なんてことは言わないし、そもそも私自身が筆箱を持ち歩いていない。

でも、大人になっても、案外いろいろなものを見せたり見られたりする機会は多い。例えば、自分の肩書きや情報が載った名刺を交換したり、念入りに履歴書を書いたり、SNSのプロフィールはもっと念入りに書いたり。着るものや持つものにも、その人らしさが十分に現れる。自己紹介で自分の好きなものや大切にしているものを人に示し、「自分らしさ」の一部として表明したりもする。いまはインターネットがあるから、好きなものや集めているものを発信する人もいる。

私もきっと、身につけるもの、聴く音楽、観る映画、食べるもの、書く言葉、振る舞いなどに「私らしさ」が溢れていると思う。私は音楽が好きだからよく音楽のことを話すし、人に好きな音楽を尋ねては、その人の頭の中身に想像を巡らせたりする。「名刺代わりに、これでも見てください」と言って、持っているiPodを手渡して見せてくれた人もいた。(私はその方法をとても気に入って、自分の音楽プレイリストを作って人に見せるようになった。)

最近、「これ、好きでしょう?」と、なんの前触れもなく私好みのキャラクターの写真を送ってくれた友人がいた。「なぜ私がこれを好きそうだとわかったの?」と尋ねると、「だって、そういう感じのものを持っていたから」と言われ、驚いた。あ〜、私の「筆箱」の中身を見られちゃったなと思い少し照れたが、うれしいことだった。たぶん、私が筆箱の「ふた」をせずに中身がこぼれていたのを、拾ってくれたのだ。

筆箱の中身を覗かせてもらうのと同じように、その人の好きなものや大切にしていること、何が「その人らしさ」を作りあげているのか、そういうのを教えてもらうのは、とてもいいことだと思う。その人の頭の中を、少しだけ覗かせてもらうのに近い行為だ。それはときどき、お互いの心の「ふた」を開き、距離を縮めるのに役立つ。

もうあの頃のように筆箱は持ち歩いていないけど、私はこれからも、「ねえ、筆箱みせて」と人に尋ねることをしていきたい。好きな人や大切な人の「筆箱」は、とくに見たくなってしまうものだし、そうでない人の「筆箱」は、もしかしたらもっと見せてもらう必要があるのかもしれない。そして、自分の「筆箱」もまた、快く見せられるようになりたい。

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