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映画館、それは未知の世界へのターミナル

『まもなく17時15分より、2番スクリーンにて上映の「XXXXX 字幕版」の入場を開始いたします。チケットをお持ちのお客様は、入場口までお越しください....』

映画館のトイレで、私はこれから観る映画の上映前アナウンスを耳にした。劇場では毎日ひっきりなしに流れる、何の変哲もないこのアナウンス。しかし、トイレの個室でこれを聞いたとき、ある光景が私の頭の中でフラッシュバックした。

スペインへ旅行に行った時のこと。直行便ではなかったので、カタール空港で飛行機を乗り継ぎしなければならなかった。私は束の間だけでもカタールという国を堪能してみたくて、空港の中をうろうろ、あてもなく物色していた。いつの間にか搭乗時刻が迫っていたことに気が付いたのは、流暢な英語で自分の名前が空港中に聞こえるように読み上げられた時だった。私は、つい先ほどまで優雅に練り歩いていた免税店を後にして、搭乗ゲートを目指して走った。搭乗時刻には間に合ったが、汗びっしょりで飛行機に乗り込んだ。

トイレの個室で自分が観る映画の上映前アナウンスを耳にした時、なんとなくカタール空港での思い出を錯覚した。「呼ばれているから、早く行かないと」と思ったのだった。

私は映画が好きだ。最近はAmazon PrimeやNetflixなど、家でも気軽に映画を観ることができる。もちろん私も普段から世話になっている。しかしながら、私は映画館に行って映画を観るのが一番好きだ。

映画館に行くことの面白さにハマったのは、ちょうど1年前のこと。それまで映画にはそんなに興味がなかったし、映画館に行くことなど年に1、2回あれば十分だった。それが打って変わり、去年は劇場で20本以上鑑賞することができた。映画が好きというより、映画館に足を運ぶのが好きなんだと思う。

映画館という場所は、空港にちょっと似ている。この頃、そんな風に感じるようになった。

海外旅行に行く時は、まず行きたい国を決める。電車の広告で見たビーチの写真とか、テレビで芸能人が訪れていた国とか、友人から聞いた土産話に触発されて、どこへ行くか思案を巡らす。そして航空券のチケットを買う。座席は窓側か通路側か、はたまたビジネスクラスか。隣席の者が大いびきをかかない人間であることを祈りながら。

チケットを握りしめて搭乗ゲートへと向かう。ゲートをくぐったら、いよいよ飛行機に乗り込む。隣の席の者がどんな人間か横目で確認しながら、シートベルトを締めて、座席のポケットにしまってあるメニューに目を落とす。ビーフ・オア・チキン。ワインはいかが。

そうこうしているうちにやがて飛行機は離陸し、旅は幕を開ける。行った先で、思い描いていた体験はできるか。もしくはそれ以上の感動が待っているか。それは、目的地に降り立ってみなければわからない。期待に胸を膨らませながら、あとは機体に身を任せるのみだ。

映画も、一種の旅のようなものだ。予告映像やポスターを見たり、インターネットのクチコミを読んだり、友人のツイートを見たりして、映画を観ようと決める。チケット選びは毎回難しい。迫力満点のアクション映画はど真ん中の席で観たいし、壮大なドラマは後ろの席で悠々と観たい。トイレの心配がある人は通路側を選ぶだろうし、特別な一本を楽しみたい人は特別仕様のプレミア席を選ぶだろう。

映画の"お供"を何にするかも重要だ。ソルト・オア・キャラメル。いや、ここは思い切ってビールか....

片手で"お供"を抱え、もう片方の手で入場口のもぎりにチケットを渡す。そしていよいよスクリーンへ向かう。座席に座り、劇場内が暗くなったら、あとは銀幕に身を委ねるだけだ。どこへ向かうのかは、最後までわからない。思い描いていた通りの結末になることもあれば、予想を裏切る旅になることもある。思いがけず涙を流すかもしれないし、見知らぬ隣席の人と同じタイミングで笑うことだって。

映画館のあの大きなスクリーンを目の前にして、私は無力だと感じる。搭乗したら最後、旅が終わるまでは目の前で繰り広げられる物語と、それに合わせてゆらゆらと動かされる自分の感情に向き合うまでだ。スマホの通知も突然の来客も、あの約2時間のあいだに入る隙はない。映画館は、日常では味わうことのできない、未知の世界へと連れて行ってくれる最高の空間だ。誰だって、何にでもなれる。敏腕エージェントにもなれるし、世界一の悪党にもなれる。許されない恋だってできるし、月の裏側でエイリアンと闘うこともできる。

『まもなく、上映が開始いたします。チケットをお持ちのお客様は入場口へお急ぎを....』

映画館は、私たちを未知の世界へといざなうターミナルだ。さあ、次はどんな旅に出ようか。

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