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あの日の焼肉

暇つぶしに、よくAmazon Primeで映画やドラマを観る。最近ハマっているのはドラマ『孤独のグルメ』だ。松重豊さん演じる主人公・井之頭五郎が、仕事の出先で美味そうな飲食店を見つけては、なんともいい表情で一人黙々と(五郎の頭の中では「美味い」「いいぞ」などの語りが繰り広げられるが)飯を食べる番組だ。

『孤独のグルメ』のある回で、五郎は焼肉店に入った。一人肉に向き合い、焼いては食らいつき、額に汗粒を光らせながら肉汁で茶色に染まった飯をかき込む。その姿は、私の脳をいつになく刺激した。ああ、たまらなく焼肉が食べたい。美味い焼肉が食べたい。

母が焼肉を好まないので、うちには家族で焼肉に行く文化がなかった。だから焼肉といったら、学生時代の打ち上げとか、会社の飲み会で行く場所というイメージが無意識に刷り込まれていた。でも、私はどうしても焼肉が食べたくなった。もちろん、五郎みたいに一人で行くのも悪くない。しかし私はすでにスマホを開き、指先は自然とLINEの連絡先を探していた。

『焼肉を食べたいのだが』

挨拶もなしに、ただその要件だけ打ち込んで送信した。送った相手は、小学生時代からの親友だ。

小学5年生の時、彼女とクラスが一緒になった。家の方向が同じなので、いつのまにか一緒に帰るようになった。当時、クラスの中で背が低かった私たちはコンマ1ミリまでまったく一緒の身長で、ジャンケンで先頭を決めなければならなかったほどだった(私が負けて背の順の先頭を務め、彼女は私の後ろでニヤつきながら前ならえをしていた)。同じ中学校、同じ部活、同じ学習塾。腹がよじれるほど可笑しな思い出もあれば、顔も見たくないくらい嫌だった思い出もある。すべて含めて私たちの思い出であり、それらがあったから今でも友達をやれている。

小学生や中学生だった頃は、よくふざけて互いに悪たれ口を言い合ったり、相手の変なところを見つけてはからかったりした。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を知る前の私たちの間には、礼儀など存在しない。親しい間柄ならある程度のことは言ったりやったりしても許されると思っていたのかもしれない。あるいは、あまりにも親しいがために「相手を大切にする」ことがなんだか照れ臭かったのかもしれない。

LINEの通知音が鳴った。彼女からの返事はイエスだった。私は早速、ある焼肉店のURLを送った。地元で長年店を構えているにも関わらず、まだ二人とも訪れたことがなかった小さな焼肉店だ。学生時代の打ち上げで行ったような安い焼肉チェーン店ではなく、井之頭五郎が訪れたみたいな、本当に美味くて小ぢんまりした焼肉店に行きたかったのだ。再び通知音が鳴り、彼女から賛成の返事が来た。そして、もう一言付け加えて送られてきた。

『誘ってくれてありがとう!』

誘ってくれて、ありがとう。私はその言葉を頭の中で繰り返した。

大人になってからの「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は、随分と身に染みる。私たちは、昔よりも少し大人になったと感じる。相手のいいところを見つけたり、自分のダメなところを「ダメなところ」として相手に見せたり、一緒に「ダメなところ」を笑い合って成仏させたり、そういうことが出来るようになったと思う。「ありがとう」もちゃんと言える。相手を大切に扱っているのが、互いになんとなく感じられる。子どもの頃、照れ臭さの下にしまいこんでいたものを今、少しずつ引っ張り出すように。

中学の部活帰り、寒空の下で焼肉店の排気口からもくもくと出る煙の前に立ち、「これで何杯飯が食べられるか」と話していた。その二人が10年後、今度は店の中で向き合って黙々と肉を焼いている。大人みたいに贅沢して単品で頼んでみようかと話していたのに、肉に詳しくない二人が注文したのは結局、3500円のおすすめコースだった。

私たちの間柄は変わっていない。変わったけど、変わっていない。

焼肉の味は、とても美味かった。

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