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【日本国記】 第二章 10 祇園祭6・日本とは世界で最も特殊な国である ―古くて新しい―   土方水月 

7 京都の祭りは葵祭と祇園祭   祇園祭 6

 本来、祇園祭の主役は牛頭天王であり、荒ぶる神スサノヲではなかった。

 八坂神社の本殿に祀られる神ではなく、疫神社の神が “疫病退散” の神であった。

   中御座に祀られるスサノヲは高天原から出雲に降り立った荒ぶる神であった。そして東御座に祀られる櫛稲田姫と神大市比売と佐美良比売はその妻たちである。そしてさらに西御座に祀られる神はスサノヲの御子たち-八王子である八柱御子と八島篠見である。

 八島篠見は出雲の王の称号である大名持オオナモチを持つ。初代大名持は須賀之八耳とも菅之八耳とも素鵞八箇耳とも書かれる。今、出雲大社の裏には素鵞社が鎮座している。そこにはスサノヲが祀られるとも大名持が祀られるともいわれ、日本人特有の玉虫色でどちらの側にも都合の良い良いに取れる名称となっている。

 さらにここには五十猛や大年や大屋比売、抓津比売、宇迦之御魂、大屋毘古、須勢理毘売も祀られる。また、傍御座には櫛稲田姫の父母である稲田宮主須賀之八耳も祀られるとある。

 面白いことに、ここに須賀之八耳が出てくる。つまり、八坂神社の言う須賀之八耳は櫛稲田姫の父であった。そうであるなら初代大名持須賀之八耳の娘の夫がスサノヲということに。では八島篠見はどうなるのか?八島篠見は八島篠とも八島士之身とも書かれ、第二代大名持といわれる。

 出雲の王である大名持オオナモチは古事記や日本書紀では大名貴オオナムチとも大穴牟遅オオナムジとも書かれる。良い意味を表すオオナムチと、よくない意味を表すオオナムジを使い分けるのも日本的である。

 本当のスサノヲが出雲に天下ったのは第八代大名持八千矛の時代といわれる。須賀之八耳や八島篠見よりももっと後の時代であり、スサノヲの妻も実際は須賀之八耳の娘である櫛稲田姫ではなく、八千矛の娘である高照姫であった。スサノヲは時の大名持八千矛の娘を娶ったことにより八千矛の婿となり、第九代大名持のような立場となった。しかし、実際には出雲の出自ではないスサノヲは大名持となることはできなかったのは当然である。

 そこで、スサノヲは荒ぶる神となったのである。スサノヲは出雲の王大名持になろうとしたのである。妻である須勢理姫はスサノヲを助け、父である大名持八千矛よりも自分の夫スサノヲを助けた。さながら天智天皇の娘でありながら父の敵となった天武天皇を守った後の持統天皇-鵜野讃良のように。


 ここで、名前に疑問を持つ方も多いと思うが、時の大名持八千矛は大国主とも呼ばれていた。大国主-八千矛は副王少名彦である事代主-八重波津身とともに出雲を治めていた。大名持と少名彦は出雲の正副王の称号であり、西出雲王家は神門臣家とよばれ、東出雲王家は富家と呼ばれた。大国主は神門臣八千矛であり、事代主は富八重波津身であった。

 彼らに挑んだのがスサノヲであった。古事記によく出てくるように、勝った側が負けた側の名を継ぐのである。「名を交換する」というのはそういうことであった。ここにスサノヲは大国主となり、そうしていつのまにか大国主はオオナムジとなった。しかし、スサノヲは大名持となることはできなかったのである。そのため一旦出雲から退いたのであった。古事記にいう大国主はスサノヲであった。彼は出雲では大年と呼ばれた。後に天照国照彦火明櫛玉饒速日とも呼ばれる。

 京都山城は古代より出雲の勢力下であり、古くから出雲の神が祀られていた。そこに新しい神である牛頭天王が合祀されたことにより、牛頭天王はスサノヲと同一視されるようになったのであった。さながら、スサノヲが大国主となったように。


 つづく

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