見出し画像

【日本国記】 第二章 6・日本とは世界で最も特殊な国である ―古くて新しい― 土方水月 

3 倭人とは


 桓武天皇の母は高野新笠である。百済人である。

 後の光仁天皇である白壁王と高野新笠の第一皇子が山部王である。後に桓武天皇となった。早良親王、能登内親王の生母でもある。

 高野新笠の父は百済の武寧王の子孫である和乙継(やまとのおとつぐ)であるといわれる。「和」は「やまと」と読むが、「倭」も「やまと」と読む。倭乙継とも書ける。和乙継は百済25代の王である武寧王の子孫であるといわれる。武寧王も41歳まで倭にいたといわれる。

 伝承によれば、朝鮮半島南部は倭であった。任那もあった。伽耶のあった地域である。奈良時代多くの国司が百済人であったといわれる。天智天皇の御代に起こった白村江の戦で滅亡し渡来した百済人が多かったことを示す事柄である。

 百済がまだ朝鮮半島にあったころ、倭からの遣百済使には通訳はいなかったといわれる。それに対して、遣新羅使には通訳がいたという。しかし、今の韓国ドラマでもよく出てくる金春秋も倭に人質として来ていた時期もあり、当時の倭は朝鮮半島にもあったと考えるのが妥当である。

 倭人とは、今の朝鮮の人たちが朝鮮半島に来る前にそこに居た元の朝鮮半島人でもあった。千五百年前の「金羅」は「木村」となり、「倭」は「和」となった。

 そして今でも「百済」さんという人を見かける。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?