見出し画像

鞄が導くもの

10年前くらいに買った「OUTDOOR」の黒いリュックを未だに愛用している。

どんなに乱暴に扱っても壊れない。さすがアウトドアブランドといったところか。

多少、形は崩れて、へたってしまったけど、まだまだ現役でいけそうだ。

鞄を選ぶとき、ぼくは、手が空くことを重視している。

なので、最近は黒のリュックか、白のショルダーバッグをローテーションで回している。

トートバッグもいいのだが、なで肩が原因であまり使用しない。

トートバッグを肩にかけようとすると、油を塗っているのかと思うくらい、スルスルと肩から落ちてくる(そんな自分のスペックを知っていながら、2つくらい誘惑に負けて買ってしまった)

じゃあ、手に持っていればいいじゃないかと思われるだろうが、前述のとおり、両手を自由にしたいので、その意見は却下である。


鞄といえば、安部公房の作品に『鞄』という題の小説がある。

文庫本で、6ページくらいの短い作品なのだが、心の深いところを妙に捉えてくる。

『鞄』を初めて読んでから、数か月たつが、現在も頭の片隅に居座っている。それくらいぼくにとっては印象深いものだった。

簡単なあらすじを説明すると、くたびれた格好の男が、ある事務所を訪れる。求人広告を見たというのだが、その求人広告を出したのは半年も前のこと。気になった私は、男になぜこの事務所を選んだのか、聞きだす。すると、男は「この鞄のせいです」と答える。鞄の重さが行く先を決めるので自分に選ぶ権利はない、選ぶことのできる道が制約されてこの事務所にたどり着いたと。

という、まあ不思議な話なのだが、「なんだろう」と考えてしまう余白が多くて、とても面白かった。

数ある選択肢の中から選ぶ必要がなく、鞄に導かれるままにすればいい、というのは楽だなと考えるのか。

鞄に導かれるのは楽かもしれないが、自分に選ぶ権利がないのは、不自由だなと思うのか。

この鞄の力をどう捉えるかは、ひとそれぞれだと思うけど、ぼくはどちらかというと後者寄りの感想を抱いた。

読んだ直後は、導かれるのはいいなと思ったけど、もう一回読み返してみると、不自由だなと思ったので、そのときの精神状態で変わるものかもしれない。

導かれる場所が自分にとって都合のいい場所ならいいのだが、最悪の場所に連れていかれる場合もある。そう考えると、導かれるままというのも考えものだ。

そして、『鞄」のなかに登場する鞄は、ものすごく大きくてどうやら手持ちのもの。

売り場にこの「導かれる鞄」が横並びに置かれていたら、両手を開けときたい、ぼくの信条も揺らいでしまうのだろうか。

そんなことを考えていたら、やはり、選ぶ必要がないというのは楽なことかもしれない、とまた思えてきた。


ほかにもいろんな解釈が可能な作品だと思うので、気になった方はぜひ。ぼくは「絶望図書館(ちくま文庫)」に収録されているのを読みました。


#エッセイ #コラム #日記 #本 #書評 #読書

Twitter:@hijikatakata21


最後まで、読んでくださってありがとうございます!