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夢のある話|2002年のフジロックにて 〜チバさん、そしてギャロ。

チバさんがこの世を去った。
たくさんのミッシェルのライブを観てきたけれど、今、なんとなく2000年のフジロックを思い返している。
ミッシェルが、そして、これが解散ラストライブであるブランキーが、グリーンのトリで登場した年だ。
今は存在しないこの2大巨頭を、あのステージで観られたことは大きい。

今見返すとこの2000年、すべてのステージがそうそうたるメンツで改めて驚いている。
ラスト・ブランキー、ミッシェルのほかに、エリオット・スミス。フーファイ。ソニックユース。プライマル。清志郎(ラフィータフィー)。奥田民生。FISHBONE。イアン・ブラウン(ストーン・ローゼズ)。ジョニー・マー(スミス)。電気。バッファロードーター。シーガル。OOIOO。AOA。シアターブルック。シナロケ。ブンブン。ソウルフラワー。ADF。ブルーハーブ。ドラヘビ。Gラヴ。モグワイ。ヨラテンゴ。ブッチャーズ。ROVO。ゆら帝。・・・震える。
今はもう観ることの叶わない人々の多さにも、改めて驚いている。
この年、一番観たかったエリオット・スミスも・・・。静かな雨の中のグリーンで、良かったなあ・・・。

フジ(2003?)のステージでチバさんは、「GT400」の前に「バイクで来たヤツ~?」と珍しく客に投げかけていた記憶。が、結構な手が挙がるのを見ると、聞いておきながらリアクションに窮した様子で、「き、気をつけて」みたいに返していたのがチャーミングだった。気をつけて、って笑。いや、そのとおりなんだけど。
どんなにいかつくあろうとも、音楽に誠実なミュージシャンであればあるほど、どこかチャーミングに映るときがままある。

フジでは出演ミュージシャンも、自分たちのライブが終わればふつーに観客になっていることも多々。夜中のフードエリアでは、気づくとすぐそばにチバさんやウエノさんがいたりして。自然の中、音楽の中、分け隔てのない空間。夢しかない。

そんな、例年はるばる仲間たちと通っていたフジロックの好きなところは、ひとりで自由に楽しく動けるところでもあった。
広大なあの会場の中・大勢の中にたったひとりでいると、心細くなったり寂しくなったりしがちなもんだが、フジロックにはそれがない。
あらゆるところで音楽が鳴り響いていて、それが媒介になる。知らない人にも容易に話しかけられる開放(解放)感が漂っていて、観客も出演ミュージシャンも、みんなが自然の中で同じ地平にいる感がとてもあった。
なんなら、仲間と乗ってきたワゴンや、グリーンの前にひとまず敷いたシートに行けば、誰か彼かがいるだろうとも思っていた。
ホームあっての安心感。安心感あっての単独行動。

だから、他の人の好みに合わせて無理に行動を共にする必要もなく。観たいステージがかぶりまくるフジロックで、付き合いは酷だ。観たいものを観たいように観るには、ひとりで動くに限る。

そんな教えを体得して、その年も参戦していた2002年のフジロック。そこでわたしは、ある外国人に話しかけられたのだが。

ひとり、ヘブンに向かっていた道中、「ハイ」と隣に並んできた彼が、英語で何やら話しかけてきた。わたしは英語が話せない。が、どうやらヘブンに行くにはこっちでいいのか?的なことを聞いているらしい。
なので、わたしも今ヘブンに行くので一緒に行きましょう!的に返した。すると彼は微笑んだ。
目深にかぶったハットと髪のすきまから、憂い気な青い瞳が見えた。印象的だった。

彼はなぜかドラムのシンバルを持っていた。見ると、AAAのパスもぶら下げている。次のステージに出るんだ、的なことを言っているようで、いろいろと話を投げかけてくる。が、ほとんど何を言っているのかわからない。シンバルを届けに行くのだろうか。これからヘブンに出演予定の、サポートミュージシャンとかスタッフなんだろうか。

ふと、理解できる英語で、名前は?と聞かれた。答えると、彼は軽いダジャレをかましてきた。
例えるなら、「きょうこ」と答えたら「Today?!(=今日)」と返してくるような。青い瞳の彼は、自分で言って自分で楽しそうだった。

やるな、と思ってわたしも彼に名前を聞いた。すると彼は「ヴィンセント」と言った。
ヴィンセントといえばギャロだなあと思った。
そう思いながら彼を見ると、帽子のせいでよくは見えないその青い瞳や輪郭が、なんとなくギャロに見えなくもなかった。

そう思った頃に、ヘブンのステージが見えてきた。指さすと彼は、じゃ!とシンバルを手にバックステージの方へ小走りして行った。
その後ろ姿を見ながら、わたしはうすぼんやり思っていた。
ヴィンセントといえば・・・ギャロだよなあ・・・

1999年に公開された「バッファロー'66」を、わたしはかなり遅れてから観た。そして、大げさでなく、男性観が変わった。
大好きな映画となった。
これを観るのと観ないのとでは、その後の人生もかなり変わっていたのではないかと思う。
「情けない男の愛おしさ」を教えてくれたこの映画に感謝する。
男の人には強くたくましく、頼りがいがあって欲しい。そんな固定観念に縛られていたわたしを、自由にしてくれたのはこの映画だ。
もちろん質感や音楽もすばらしく、YESの「Heart of the Sunrise」なんてこの作品のあのシーンのために創られたのでは!?感がすごい。
あの脳内イメージも、わたしのいつもの妄想世界まんますぎて覗かれてた?!感がすごい。
ふたりが背を向けて眠るハートの形も、甘そうなハート形のクッキーも、演出がにくすぎる。
逃げ出せるのに逃げないぽっちゃりレイラ(クリスティーナ・リッチ)も最高。(男性観が固定観念に縛られているときは、なんで逃げないの?!怒 と理解できなかったが)
そしてわたしの記憶では、ビリー(ギャロ)が走ってホテルへと戻ってゆくシーンで終わっていたのだが、DVDでは違っていた。記憶違いだったようだ。けど。
走って戻るだけのシーンで終わってほしかった。もしかしたらレイラはもうホテルにいないかもしれない。いや、いるに決まってる。いやでも・・・!
走って戻る後ろ姿だけのシーンが、いろんなその後のストーリーを呼び込んでくれていたのにと、ふと思う。

かくして。
ヘブンのバックステージへ走って行った、後ろ姿を見送ったのち。
その後の道中でも外国人とのふれあいは多く。道端で売っているヤシの皮?のトンガリ帽子をかぶっていたら、外国人団体に、オー!!と歓喜され、一緒に写真を撮ってくれと言われ、なんかキューティー!とかそういうことを言われてるのだろうと思って嬉々として写真に収まったりしていたが、あとで友人に聞くと、「ピクシー!って言ってたんだよ」と笑われた。
ピクシー、それは、トンガリ帽子ととがった鼻の可愛くない小妖精…(ティンカーベルみたいな可愛いのはフェアリー)。
あとで英語辞書で調べたら、挿絵が怖くてひいた。

また、ごはんの席で隣になった外国人には、兄弟はいるか?と聞かれ、男兄弟がいても楽しかったかも、的に言うと、親に頼んだら?と言われ、「トゥーレイト」と言ったら、大笑いされた。そんなに??
でも、この頃になると、英語はわからないわりにコミュニケーションはできるようにもなっていた。これもまたグローバルなフジのいいところ。

そんなこんなで、その後合流した仲間たちに「ヴィンセント」の話をすることもすっかり忘れ、アツい夏が過ぎ去った頃。
にわかに巷の雑誌の表紙をヴィンセント・ギャロが飾っていた。翌年公開の「ブラウン・バニー」のプロモーションで来日していたらしい。
雑誌が出版されるまでのタイムラグを考えると、来ていた時期は・・・これは。。。

そう思って見れば見るほど、その誌面の憂いを帯びた青い瞳は、あの隣にあった帽子のすきまの青い瞳に見えてくる。
あ、そういや、背はすっごい高いってわけじゃなかったな。わたしと比べて。
そう思ってギャロの身長を調べると、180cm。ちなみにわたしは169cmである。背の具合も・・・これは。。。

あの彼がギャロだったのかどうかは定かじゃない。もうわからない。
でもわからなくていい。フジならではの、夢のある話。それでいい。

ちなみに。
この次の年、2003年にギャロはフジロックに出演した。
ヘブンへの道中、次のステージに出るんだ的なことを言っていた、
「次」の、とは、もしかして。

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