加来幸樹(KAKUKOKI)さんを料理で表現しました。

加来幸樹(KAKUKOKI)さん

『自分の言葉で語るとき、人はいい声で話す』という信念のもと、ネーミングや企業理念、パーパスなどアイデンティティの言語化などを事業として行うサインコサインのCEO。

〜はじまり。〜
今回、ご縁を頂きshironeriに足を運んでくださった加来さん。
飛行機の時間もあり、私がお話できたのは15分。加来さんのお話は本当にワクワクして、『今私、いい声で話してるかも。』そう思いました。話の中で、"私は人と話をするとその人っぽいな、という料理を思い浮かべる思考の癖がある"という話をしました。そして、【加来さんは"のり弁".です。】と伝えました。.....

〜思考の開示〜
『のり弁?おもしろいね、』と笑ってくれた加来さん。

怒らないでくれて微笑んでくれている加来さんの顔が嬉しくて、『何故かと言うとですね!』と、ついついワクワクして食い気味に話す私。笑

『加来さんは、人と人、人と言葉を繋いでくれる人だと思いました。のり弁って、ご飯の上におかかが乗っててその上に海苔があってご飯と海苔がいい感じにくっついていてその粘着力が気持ち良い食べ物というか。ペタっとしてる感じが、加来さんがしてくれている事なのかなーなんて思って。そのおかかの役割りもそうだし、上に乗せたいのはちくわの磯辺揚げで、ちくわっぽくもあって。あ、なんだかすみません初対面なのにのり弁っぽいとか。すみません。...』

と、ひとしきりばーっと、傾聴力が素晴らしすぎて思った事を気持ちよく話している自分がいて、ふと我にかえり、『会ったばかりの方に私はなんてことを🫠』と思ってごめんなさい。って言ったら加来さんは『いや、嬉しいです!のり弁って忘れないです!』って言ってくださって。
⚫︎いつも頭に浮かんでいた事を言語化できたこと。
⚫︎そしてその事を受け入れてくれた事。
⚫︎自分の考えを(忘れない)という言葉で返してくれたこと。

それが本当に、本当に嬉しかった。

〜言語+料理〜
加来さんはご自身の自己紹介の際に、『かきくけこだけで表現できる名前です。KKです。』っておっしゃっていて、おぉー!自己紹介が流石すぎる。と思ったのですが、と同時に『かきくけこ。ってカクカクして角って感じだけど、加来さんってカクカクっぽくないなー』と思いました。(表現が幼稚でごめんなさい笑)
でも、だからと言ってTHE丸⚪︎って感じでもないしなー。柔らかい感じの〜。『お!これだな!』
これがのり弁の上にのっている具材だな。うんうん。なんて思いながら自己紹介を受け止めました。
それを表現したのが、『タコさんウインナー🐙』。

ウインナーじゃなくて、タコさん。そしてそこにはカニさんもいる。
ウインナーという一つの形から、包丁の入れ方を変えれば色んな形に変わることができる。そしてそれを見て楽しい気持ちになる。どの形になったら嬉しいかは受け取る側が決めること。なんだか、加来さんって、そんな風に多様に姿を変えて人を喜ばせる事ができる人なんだろうな。なんて思いました。
あとは、さっきカクカクはしていない気がする。と書いたのですが、とはいえ、ふわふわでもなくて。トゲはある気がするのです。決してネガティブな表現で使いたいトゲではなくて。ハリネズミのトゲみたいに、可愛いけど身を守るためにそもそも備わっているみたいな。痛いものっていうより、バリア的な感じです。言語化する前に、映像として鮮明にあるのが【緑のバラン】なんです。むしろ食べ物ではないんだけど。お弁当によく入っている、緑色のギザギザのあれです。バランの本来の目的は①お弁当の彩りをよくするため②おかず同士がくっついて味や色が移るのを防ぐため。です。『のり弁っていっときながら、真逆のこと言ってない?』って思われそうだけど。私が加来さんに思う"気持ちの良い粘着力"っていうのは、人とベタベタする感じとか、依存的な事じゃなくて。ちゃんとそこには『交わらない方がいいもの、こと、ひとへの配慮がある』から出来る事なんじゃないかなとか思って。加来さんのお仕事ってそうじゃないと成り立たないのではないかな。なんて、お話を聞きながら思って。(たった15分で何がわかるんだ。という話なのでこれはあくまで私の勝手なメルヘンだと思って聞いてください)
だから私が思う加来さんを表現する為ののり弁にはバランが必要です。マストです。

そして、もう一つ。
のり弁とは違うカテゴリーとして、私の中で思い浮かんだのが"ナポリタンとポテサラとハンバーグ"。多分『お子様ランチ』。
pcでスライド作ってくださっていて、説明してくださっている加来さんは"のり弁。"
そして、のり弁嬉しい!と言ってくださって、顔をくしゃっとして笑ってくれた笑顔の加来さんがお子様ランチ。スイートコーンの優しい卵色は欲しい。

ケチャップがいっぱいで野菜入ってない麺だけのナポリタン。
口いっぱいに、ケチャップつけてる加来さんを勝手に想像してしまい、その姿を嬉しそうに、幸せそうに見ている人たちがいるんだろうな。仲間がたくさんいるんだろうな。なんて思ってあぁ、絶対愛される人だろうな〜。その景色幸せ。って、想像して勝手に私も幸せになってます。笑
のり弁なのに、のり弁であることがわからないくらいおかずがぎゅうぎゅう。
でも下にはしっかり海苔が敷かれていて、箸をしっかり入れて、【食べるよ】という行為をする者のみがわかる。そう、それは紛れもなく、のり弁なのである。みたいな。

加来さんのお弁当は、カラフルというより偏りがある色のイメージで。
ランドセル🎒のイメージ。
タコさんウインナーとかナポリタンの色。真っ赤じゃなくて、オレンジでもなくて。そうだな、『茜色』がイメージに近い。
"野球少年が清々しい顔をして服を泥だらけにして家路に帰る夕暮れ時。"って感じ。
子供らしさと夕暮れの色気が加来さんって感じ。

そんなこんなで、私の勝手な解釈と想像で加来幸樹さんを料理というツールを使って表現した料理名は『ペタペタ』です。(なんだかごめんなさい笑)

今回、自分の思考の癖をこうなって初めて言語化してリアルに生み出す。という事をしてみました。

〜気付きのまとめ〜

『料理は言語化のツールになる。』

『言語化したいとき料理で表現できる』

もし言葉が話せなくても、もし伝えたい事を手紙や文章に起こすことが難しいと思ってても、『この人にこんなご飯届けたい、なぜかって言うとね、、、、』みたいな感じでだったら話せる。みたいな人もいるかもしれないなって。『伝える』の表現のツールが『誰かを想い、ご飯を作る』
の人もいるかもなって。
私がそうだから。


〜最後に〜
『自分の言葉で語るとき、人はいい声で話す』という加来さんの信念。
私が伝えたいことも、通ずることがあるような気がしています。

私の今回のスタートは『加来さんに出会えてよかったです。』を伝えたい。でした。
そして着地点は、『料理を作った事でもっともっと知りたいと思いました』です。

なんで私は、加来さんを⚪︎⚪︎だと思うんだろう?という入り口から、自分の何故、を探す思考の旅にでる。おかずが思いつく度に、その旅を繰り返す。レシピを思いつくのはお話した15分だからあっという間だけど、その一つ一つを全て言語化していくのは、初めての事。いつも勝手に感覚的に思ってるだけの事だったから。
でも凄く楽しかったな。
誰かを想いながらの、自分の思考の旅。これは気持ちがよい。と言う事がわかった。そもそも嫌いな人にできる行為じゃない。と言うこともわかった笑

こののり弁は空想話じゃない。リアルに作り、美味しい。となることで完結する話だと思ってる。だから、ちゃんとおいしく作る。
いつか本当に食べてもらいたいな。


〜本当に最後に。〜

今回の『加来さんを料理+言語で表現する』にあたり、お会いした後に、何か加来さんが書いた記事を読んだり、文書を探したりしませんでした。あの日あの時の私が15分の間に感じた"気持ちを料理に例えて、言語化して現実の物にする"に純粋に向き合ってみたかったから。
なので、また加来さんとお会いできる日が来て、またその時にもっとお話できたらまた違う料理を思い浮かべて違う言語化にするかもしれない。それって凄くワクワクする。新しい料理に出会いたい。その気持ちは、『この人のこともっと知りたい』みたいな気持ちと同じ気がする。
料理・ひと・言葉 の可能性って無限かも。

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