見出し画像

自分で選ぶ心地よさ

ここ3日くらい考えているんだけど、自分で自分のやりたいことを選んでいる実感ってほんとうに大事だなと思う。それを実感できたら、そもそもそれがうまくいっているとかいっていないとかどっちでもいい気がする。誰のせいにもしなくていいこと、自分でひきうけることが明確なことがもたらす心地よさってすごい。(自分がそうじゃない時期が長かったから今こう思うんだけど。)

もしも世間体という観点で仕事や結婚やいろいろな生き方を選んでいたとしたら、めちゃくちゃ勿体無いなあと思う。自分の20代は一般的に言ったらいろいろ踏み外していたのだけれど、収入をMAX趣味につぎ込んでもうできない体験をいろいろしたことはよかったなあと今になって思う。というような話を書くのは一般的にこの人の生活スタイルいいなと思われる人になってこそだともよく思っていたのだけれど。

結婚なんてどっちでもいいと書いて、年増が負け惜しみ言ってんじゃねーみたいなことをたくさん書かれたので、そうかやっぱり一般的によしとされてることから外れても楽しいよと何者でもない人間が言うことってたくさんの人をいらつかせるんだなあと思ったし、いらついてるわけじゃなく心底バカだなこいつとたくさんの人に思われることも心地いいわけないし。でも99人に当たったり障ったりしながら1人にいいねと言ってもらえたらいいなとふりきればいいんじゃないか。そんなことはずっと考えていたのだけれど、年々少しずついろいろなことがどうでもよくなってきていて、いい感じだなあと思う。

一般的によしとされてること、と書いたけれど、それに乗っかるか外れるかということじゃなくて、結果的にやっていることが同じでも違っても、それを自分で選んでいるかということを大事に思っていて、かつ自分でもその精度をはかるのってけっこう難しいとも思う。そもそも誰の意見にも影響を受けないなんてことは生きていてありえない。少数派か多数派かっていうこともあまり関係ない。基準を「多いから」「少ないから」に軸を置くとするならどっちも考え方としては同じだなと思う。

「これ好きだ」と思ったから選ぶ、というのが、今自分の中でいちばんしっくりくる言葉だ。「好き」はめちゃくちゃ広い。「好きなことをして生きていく」の是非みたいな話を時々聞くけれど、好きの定義は広すぎてそんな是非は問えないんじゃないかと思う。(言葉の定義が広すぎるのに是非問えないよなと思うことは他にもあるけど。)ただ感覚として自分が「好き」と思うことの精度ってどんどん上げていけるなあと思う。(自分にとって選んでよかったなと思える意味での精度。)そういう感覚を磨くために人に会って話したり本を読んだりしたい。自分の好きもどんどん変わるというか深くなっていくと思う。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。