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下田美咲 著『そうだ、結婚しよう。』

下田美咲さんのcakesの連載はずっと楽しみにしている。常識に全くとらわれない独自の人生におけるいろいろなノウハウがすごい。この本は2016年11月~2017年6月までのcakesの連載をまとめたものだ。

私はこの連載を通して、私たちの夫婦生活がうまくいっている理由は、この結婚の(そして私自身の)非常識さにあるのだと実感した。記事を公開するたびにネットはザワつき、ザワついた分だけ「そうか、これは普通じゃないのか」と知った。同時に「つまり、多くの人はこういう考えを持っていないから、私と違って結婚がうまくいかないのか」とも思った。

「つまり、多くの人はこういう考えを持っていないから、私と違って結婚がうまくいかないのか」

こういう痛快さが好きで、実際言っていることは、あまりに常識から外れていて新鮮で、しかも正しい!といつも納得してしまう。(完全に自分とは考え方が違うなと思う部分も10%くらいあるけれど。)

例えば、結婚する前に「その相手と結婚したらうまくいくか」なんてことは分かりえないという論理だ。

「結婚したらどんな人なのか」「結婚してうまくいきそうなのか」というのは、結婚する以外では知りようがなく、交際を通してわかるのは「付き合う場合にどういう人なのか」でしかない。同棲してわかるのも「彼女と暮らすとどんな人なのか」でしかない。それって、結婚後のその人をリサーチする材料にななっていない。つまり夫としてどんな人なのかは、夫として過ごしているその人を見るしかなく、それ以外の姿は参考にならない。

「恋愛と結婚って別だよ」という話はよく聞くけれど、それを分かりやすく言うとこういうことなんだろうなあと思う。

「夫婦になる」という覚悟のあるなしで、相手に踏み込める領域は違ってくるから、彼氏彼女の段階では相手に言えないことも多い。うまくいくかどうかは、夫婦になることでしか知りえないということが書いてあった。なるほど。

私は未婚なので、「実体験でその通りだった!」とは言えないけれど、すごく腑に落ちた部分がある。彼氏には言えないけれど、たぶん長らく一緒に生活していくということが前提の夫になら言えるお願いなどは絶対あると思う。それって、やっぱり結婚前後で今まで築いていたバランスが変わるときでもあるんだろうなあと思う。(何も変わらないという人もいるだろうけど。)

「舅姑には敬語を使わない」というのも面白かった。

婚約者の両親に初めて会う前日「美咲ちゃん、明日ちゃんと敬語を使ってね」と言う婚約者に対して

「敬語は使わない。これは私のこだわりなの。敬語を使ったら、仲良くなれないで終わるよ。当たり障りのない、一緒にいて居心地の悪い、気を遣うから早く帰ってほしいだけの、帰ったら途端に陰口を言うような仲にしかなれないよ。だって世間一般の嫁姑ってそういう感じじゃん、あの人たち、みんな、敬語ちゃんと使ってて、そうなってるもん」

敬語は使わないけど、敬意は徹底的に払うという独自のノウハウで、26年間いろいろな人の実家を訪れるたびに、その家族と馴染んできたという絶大な自信で、実際ものすごく義両親と仲良くなれたそう。これはかなりハイレベルな方法だし、慣れない人間が真似をしても失敗する確率が高いと思うけれど、すごくハッとした部分はある。

社会の中で誰かと会って会話をする中で、親しくなければないほど私の建前度って半端ないよなあと思った。まあ、それが普通で常識の範囲とも言えるのかもしれないけれど、もうすこし、崩してもいい部分はあるんじゃないかと思った。

関係の深くない人全てに建前で接していたらた、無難かもしれないけれど、自分を知ってもらう機会を逃しているとも言える。その無難さは、怠慢とも言えるんじゃないかと思う。

下田美咲さんが、敬語を使わずとも、むしろ使わないからこそ仲良くなりたい相手と打ち解ける方法は、やっぱりたくさんの経験や洞察を積み重ねたからこそできるわけで、そういう努力って、自分は全然足りてないなあと思った。

こんなふうに、自分が全く考えたことのない角度からいろいろな提案をしてくれる下田美咲さんの話は、ほんとうに痛快で面白いなあと思っている。

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いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。