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20年前に戻って

最近、辻村深月さんの『オーダーメイド殺人クラブ』と『盲目的な恋と友情』を読んだ。『オーダーメイド~』を読むのは2度目だったけれど、どちらも学生の心理描写がぞっとするぐらい細かくて鮮明だ。その部分に対する読者の共感も、辻村深月さんが人気な理由なのだと思うのだけれど、それは恐らく、多くの人が同様に狭い人間関係の中で悩んできたということで、自分だけじゃなかったというほっとする気持ちと、当時よくこんな苦しさに耐えていたなあという気持ちが入り混じる。

このあいだ高円寺で開催されていた『不適応者の居場所』というイベントでは、過去に不登校を経験したという人に多く出会った。

その時会った人にも言ったのだけれど、私は20歳くらいまで親の言うことが人生の全てだったので、自分の頭で考えるということがずっとできなかった。だから、自分以外の人間も学校という場所に通学するという日常が当たり前の中で、「行かない」という選択をできることは、すでに自分の頭で考え、自分の足で立っているということじゃないか、すごいなあと、大人になってから思うようになった。イベント参加者の方とそんな話をしたときには、「いや、何よりもただ『とにかく行きたくない』という思いが強すぎただけです」と言われたけれど。

私自身は、学校では嫌なこともあったけれど、楽しいこともそれなりにあったので、行きたくないのに頑張って行っていたというわけではない。でも、今考えると、もっと過ごしやすい空気にできたはずだと思うことはたくさんある。私の小学生時代に遡れば、もう30年くらい前の話になってくるので、だいぶ時代が違う。今だったらすぐ社会問題になっていそうな案件は、そこらじゅうにあふれていた。

学生時代において、教師や同級生との関係の中で、辛いことを耐えてきたぶん、今それは私の糧になっているのだろうか。人間関係でつまずいたことも、大人になって少しずつコミュニケーション能力を身につけていく中で、ああ、昔はあんな行動をしていたから、疎まれていたんだなと参照できる過去があることは、今の人間関係を円滑に築くために、やはり必要な経験と記憶だったのだろうか。

大人になって、たまにふと、ああ、この人ともし同じ高校だったら絶対同じグループにいなかっただろうなということを思う。そんな人と、一緒に仕事をしたり付き合ったりしているのは、なんだか面白い。

大人になると突然取り払われるのに、当時は確かにそこにあった、目には見えない枠やカーストに、私は今よりずっと小さな狭いキャパシティで、どうやって対応していたのだろう。たくさん傷を負ったはずなんだけれど、その傷は癒されているのか、跡形もなくなっているのか、今の私が私であるために必要なものだったのか、なくても私は何も変わっていないのか、今でもよくわからないけれど、ただ、そんな時代もあってよかったと言い続けることで、過去の私を救っている。

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