今のこれからの私の音楽
去年末から年始にかけて、なんだか寂しかったのを思い出す。ネットも閑散として、みんなどこかに出かけて、ここを読んでくれる人も半分以下になって、いつも聴いていたラジオは全部特番になるし。
この10連休もそんな感じになるのかなと思っていたのだけれど、季節も違うし、年末年始の静かな印象とは全然違って、この浮ついてる感になんだか安心する。
会社を辞めてからというもの、より合理性(ただし世間ともずれている私なりの)を求めだした気がする。毎日の習慣が崩れることに、かなり敏感になったと思う。
部屋に無駄なものは少なく、時間割通りに生活し、良い習慣を身に付ける。不器用な自分も、時間や心に余裕があれば、すこしずつ今までできなかったことができるようになった。
ネットや人間関係の悩みや煩わしさが増えても、懇切丁寧に分析して対処するノウハウも同時に増えていく。それを読んで実践している人もたくさんいるだろう。私もそうだ。
生きていれば、大きなことから小さなことまで悩みと不安は尽きないけれど、現代社会ではそれらについてまず「調べる」ことができるのだ。
信用ならないものもあるけれど、べつに嘘ばかりというわけではない。実際に役立つ情報はたくさんあると思う。
だけどそれらを利用することに慣れることは、合理性を追求しすぎてしまうことにもなるよなあと思った。
今日、久しぶりに中西ヒロキさんのライブに行った。ライブに行くこと自体も中西さんを生で観るのも久しぶり。
中西さんの歌を聴いていると、そうだ、どうしようもないことってものすごくたくさんあるし、解決できないことも歌で癒されていたことってたくさんあったんだよなあと改めて思う。
なんでもかんでも解決しようとしなくてもいいのだ。
最近の私は、あまりに面倒を回避しようとしすぎていたような気がする。
去年の春、会社はもう辞めていたけれど、それでもけっこういろいろなことに悩んでいたのだった、そういえば。恋愛とか人間関係とか生活とか。
たった一年くらい前の話だけれど、その時は今よりずっと音楽を「聴いて」いたと思う。
自分はすごく考えて、いろいろ諦めたり手放したり受け入れたりして、とても生きやすくなった気がしていたけれど、そこまで「解決しよう」としなくてもよかったんじゃないかなあという気もする。
今はたしかにストレスの少ない生活になったけれど、だからか、今わたしは音楽を「聞いて」いたんだなあと思う。
そして、生きやすいことと楽しいことってまた違うんだよなあということも思うようになった。
まあ今はそんな人生のポケットみたいなところにいて、また日々が過ぎて、このままじゃいられないこととかも出てきて、また悩んだりするんだろう。
そんな時にまず解決方法を考えるんじゃなく、ただ音楽を聴いていたらいいのだと、単純なことを思い出した日だった。
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