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コミュニケーションについてのメモ

「わざわざ」の平田はるかさんの記事を読んだ。(一週間無料で読めます。)

これとはまた違う記事を読んで、改めて「そうか!」と納得したことがある。

当たり前だけれど、どんなコミュニケーションが好きかってほんとうに人それぞれだ。

私はサービス業に従事していた期間が長く、そこで知り合う人はプライベートでも、会話のテンポがだいたい同じだ。あまり予想外の反応が返ってきたりしない。

これは、自分が仕事以外で出会う人もけっこう似ている。仕事以外で出会う人も、開業していたり、フリーランスでガンガン営業したり、自分の作品を一人でも多くの人に届けたいという人たちと話すことが多く、そこではやはり会話のキャッチボールが結構予想通りだなあと思うことが多い。

逆の言い方をすると、ボールが思ったとおりに返ってこなかった時の「あれっ?」ていう感情になることが少ない。

そして自分は、思っていたような反応が返ってこなかったとき、あ、私の話つまらないかなとか、失礼なことを言ってしまったのかなとか、私嫌われているのかなとか思ってしまうのだけれど、そういうわけではないのだ。(そういうときもあると思うけど!)

平田さんの言う「間合いをジリジリと詰める会話に興味がない。」は、なんて明瞭なのだと思った。

自分のやっているそれは、人によっては蛇足だったりする。

そして「間合いをジリジリと詰める会話に興味がない」人が、人を嫌いとかそういうことではないのに、うっかりそれに近いようなことを感じてしまっていた時もあると思う。

つい当たり障りのないことから会話を始めたくなる自分の癖が、心地いい人もいると思うし、どっちでもいいわと思う人もいるだろう。

でも、当たり障りない導入部分がどっちでもいいからって、べつに自分が嫌われているわけではない。(そういうときもあると思うけど!)その先を聞きたいと思っているのかもしれない。(かもだよ。)

だからって導入はやめよう!とするのも、今の自分からしたら不自然なのだ。べつに自分がいちばん自然だと思う話し方から会話を始めればいいと思うのだけれど、なんとなく、変えたほうがいいことはあると思ってすこし考えてみた。

そこで「たぶんこんな反応が返ってくるだろう」と、なるべく思わないでいたらいいんじゃないかと思った。会話の先を予想していることで、だんだん自分が持っている表現も狭くなっていくような気がするから。

予想をしてしまうことも完全なる癖なので、なくすというのは難しいかもしれないけれど、なるべく先をみこさず、今この瞬間に話したいことを素直に言葉にする訓練を、ちょっとしてみようかなと思った。(1083字/28分)

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。