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小説の効能

最近小説をよく読むようになった。ここ2年くらいは、エッセイやビジネス書や自己啓発書を読むことが多かったし、フィクションより現実世界で起こっていることが知りたいという気持ちがあったのだと思う。

でも、先日ラジオで落合恵子さんの講演を聞いたときに、落合さんは、ノンフィクションで書ききれない事実を小説なら詳細に表現できるという趣旨のことを仰っていた。同じようなことを、はあちゅうさんも最近ツイートか何かで書いていたと思う。

小説は時に、事実を我々が手に入れられる情報以上に、目を覆いたいほど詳細に教えてくれる役割もあるのだと思う。それに初めて気づいた、というわけではないけれど、しばらく小説を読まないでいると、そんなことも忘れてしまう。読み始めると、深く実感する。

たとえば、人体模型は人工物だけれど、普通はリアルに目にすることができないものの実態を知ることができるし、これからより発達していくであろうVRも、現実そのものではないが、かなり現実に近いものを、普通に生活していたら触れられない部分まで見ることができたりする。小説にもそのような側面も、あるのだと思う。

窪美澄さんの『さよなら、ニルヴァーナ』を読んだ。この本は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件を元にしたもので、加害者・被害者の親・加害者に憧れる女性・これらを小説に書こうとしている小説家志望の女性、この4者の視点から物語が展開していく。

そこには、実際に起きた殺人事件とその報道とは別に、自分がこれまで考えたことのなかった様々な境遇の人間の視点を感じることができる。もちろんそれらは創作なのだけれど、ここに登場する不幸や悲しみや苦悩や悲惨さ、私が今まで考えたこともなかった感情も、おそらくこの世界のあらゆるところに、かなり近い形で存在しているものではないかと思う。

それは、「実際に起こったことしか情報として信用しない」という心持ちでいると永久に知ることができない、私が知りたかった人間の感情だと思う。

インターネット、そしてSNSがこれだけ発達したことにより、数年前と比べてもその便利さは計り知れないが、人の悪意に直接触れる機会も格段に飛躍した。それに付随する悩みや生きづらさも比例して増えているはずだ。

『嫌なものは自分の視界に入れない』というのも一つの選択だ。ネットの中の出来事に限らず、現実世界においても『逃げる』というのは、状況に応じて大事な選択肢だと思う。

ただ私は、不愉快なものがなぜ自分にとって不愉快なのか、それらは何が原因で起こるのかということにも興味を持っている。

なぜこの人はこんな攻撃をしなければならないのか、なぜこんな理不尽なことが起きるのか....生きていく上でそんな気持ちになることはこれからもたくさんあるだろう。

ただむかつく、関わりたくないと思って逃げてもいいのだけれど、そこにある背景を知った時に、自分の受け取り方も変わるかも知れない。その背景を現実には見られなくても、小説に教えられたりする。

もちろんそれ以外にも、自分が言葉にできなかった自分の気持ちを見つけることができたり、架空の人物から元気を貰うことができたり、無限の楽しみ方があり、ある意味ノンフィクションより真実に近いフィクションに、人生で助けられることは多い。

しばらく閉じていると、うっかり忘れてしまう世界だけど、やっと思い出せたので、これからは大事にしたい。

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