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おもしろいとつまらないの繰り返し

自分でも毎日つまらないなーと思いながらこれを書いているんだけど、去年はもうすこし面白かった気がする、自分の中では。ストレスが少ないと特に書きたいこともなくなってくる気がする。いろいろなニュースを見ていろいろなことを思うのだけれど、書きたくて仕方ない何よりも先に!というほどでもない。おかしいだろうと思うことはたくさんあるのだけれど、おかしいの先を深く考えてしまって、ムカつく人もまあこんな生活をしていてこんな考え方でこんな発言になるんだな仕方ねえなみたいなところにたどり着くと、わざわざ言及したいこともなくなって、でもそれってすごくいいことのような気がしていたんだけど、というか、そうなりたかったんだよ。できたら怒りたくないから。

どんな物事にも理由があって紐解いていけば仕方ないに着地するしかない。自分もだめなところはたくさんあるのだから、そういう人間が集合して作っている社会にだめなところがあって当然だし、許せないことの範囲も結局自分の度量で決まるんじゃないか。そういう自分の度量は年々広がっている気がする。まあふつう成長するにつれて広がっていくものだと思う。それが生きやすさだと思っていたし、間違ってはいないのだけれど、生きやすいと楽しいはまた別物なのだ。相互に関わり合いがあるけれど、別物なのだ。

私は会社員の人に比べたら人と会う量ってものすごく少なくて、さらに前職と比べたらもうゼロに近いんじゃないか。こんなに少なくても人との摩擦みたいなものはいろいろな場面であるもので、それなら以前どんな世界で生活していたのかと信じられない気持ちになる。なるけれど、たぶん人は摩擦の頻度が高くなればそれらに慣れたりまた忘れたり上書きしたりするようにできているんだろう。その機能がおいつかないくらいのことが起きると大変なことになるんだろうけど。

まあそうやって摩擦があふれていると神経が過敏になる気がする。別のことを考えたくなるのかもしれない。もっといろいろなニュースが気になるんだろう。許せないこともたくさん抱えていた気がする。その時のほうが言っていることが面白かった気がするし、それが楽しさにつながっていた気がする。楽しいにも種類がたくさんあって、時間に追われず悩みもなくいろいろな趣味を満喫するのは楽しいに決まっているのだけれど、特にひろがりもないよなと思う。なんだかだいぶ精神的にゆっくりしてしまったな。いわゆる労働時間で考えたら結構長い。夏はやっぱり忙しかった。今月も丸一日休みって3日間だけだったし。でもそういうことじゃなく。労働には全然疲れていなくて、ちがうことでもっと疲れたいのだ。

ちなみにここ2か月は以前のような酷い頭痛がない。3月からは毎月2日くらい寝込んだり吐いたりしていたのに。でも今考えたらマガジンを作っていたからのような気がしている。元々身体が歪んでいて血行が悪いのが一番の原因なんだけど、さらに睡眠を削って姿勢も悪くなっていたので追い打ちをかけていたんだと思う。完成してから1ヶ月くらいでだいぶよくなったな。もう病院も1ヶ月行っていないし。だからもう身体にとってはいい状態だと思うんだけど、やっぱり何か心地よい負荷をかけていかなきゃいけないのだ。みたいなことを思うサイクルを繰り返して生きているので勝手に何かが始まるだろうとも思っているのだけれど。という気分になった日をメモしておこうと思って書く。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。