「程よい距離感」って、どれくらい?

note マガジン「こどもたちの隣りで」
今日は、気持ちへの寄り添いかた、距離感について。

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保育園は子どもたちにとって生活をする場だ。
だから、いつもいつでも「たのしい」や「うれしい」に、溢れているわけじゃない。

お母さんを思い出しちゃって、さみしい。
使いたかったおもちゃを使えなかった、かなしい。
友だちに叩かれた、いたい。
鬼ごっこで鬼になっちゃって、くやしい。

なみだ、なみだ、なみだ。
いろんな理由で、いろんなところで泣いている子がいる。

そんな時ついつい私は、アクションを起こしたくなってしまう。

隣りにそっといってみたり、「どうしたの?」「そっか、かなしかったんだね」と声をかけてみたり、抱きしめてみたり。

その行動の裏には、「気持ちに寄り添いたい」という想いももちろんあるのだけれど、でも心のどこかで「その気持ちが晴れますように」と思ってしまっているところがあったなあと思う。

つまりそれって、一歩間違えると「その子(相手)の気持ちをコントロールしようとしてる」ってことであって、“見せかけ”の寄り添いになってしまうかもしれない。

それに比べて、子どもたちの他者への寄り添いかたは絶妙だ。

程よい距離感をよく知っている。

「ああ、○○ちゃんが泣いてるな」とはもちろん気づいているんだろうけど、無理に近づいたり、声をかけたり、アクションしたりしない。

ただそこにその状態でいることを、当たり前のように受け入れている。

昨日も女の子がひとり登園後、パパを思い出して「パパがいいー、パパ、パパ」と言いながら泣いていたのだけれど、周りにいる子どもたちはそっとその姿を見ているだけだった。

その子はそれから10分くらいたっぷり泣いてからふと泣き止んで、保育士と他の子が絵本を読んでいる輪に入ったんだけど、その時も彼らは何も言わず、何もなかったかのようにその子を受け入れていた。

いやあ、あっぱれ。すごいなあ

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子どもたちって、よく笑い、よく泣き、よく怒り、よく喜ぶ。

大人に比べて感情を豊かに表現する人が多いよなあと思っていたけれど、もしかしたらそれは、周りがいい意味で“ほっといてくれる”から?

程よい距離感には、“遠さ”も大事なのかもしれないなあ。

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