見出し画像

コラム「太陽の子」

 2017年3月17日、海月ひかり実演版「太陽の子」というライブアルバムをリリースしました。この作品は、昨年2016年12月1日に下北沢CLUB Queで開催したワンマンライブ「海月ひかり誕生祭〜太陽の子〜」のライブ録音をパッケージしたもので、全21曲とMCトラックが収録されています。つまりは、あのライブがそのまま切り取られ、アルバム作品として残った、ということですが、私自身、あのワンマンライブを作品にするつもりもなかったし、実際の録音も、身内が記録用として残すのを目的にしただけで、後日、「海月さん、ものすごいものが残ってるよ」と知らされるまで、ライブの余韻や達成感に浸りきり、過去の想い出として語りながら、酒を煽っているばかりでした。
 ワンマンライブではじめて挑戦したことがいくつかありました。照れ屋なので、MCでは冗談っぽく“ジャイコ”と言って誤摩化していましたが、私は「ノリ」で何かをやることは得意でなく、嫌悪感すら抱いてしまう性分で、衣装や演出は可能な限り最大限に時間を費やして考案し、完成させたものでしたし、ワンマンライブだから身内ノリなことしていると評価されたくらい、みんなの期待を「裏切った」パフォーマンスが出来たと思うのです。
 あのワンマンライブから、私のライブははっきりと変化をしました。今まで見せた事のない色を見せているし、可能性を広げることが出来ていると思っています。同時に不安もありますが、新しいことを始めるのに「不安」はつきものです。信じているのは、あのワンマンライブ、ステージから見た、お客さんたちのキラキラした表情。私はようやく自分の生んだ音楽たちが、誰かのためのものになってくれた気がして、嬉しくて、嬉しくて、今でも胸がキュン、となってしまいます。

 「ものすごいものが残ってるよ」
 録音を聴いたとき、あぁ、音楽の神様はまだ私を見放してなかったんだと思いました。2009年、まだ海月光として歌っていたときに、これ以上最高のライブはできないのではないか、というワンマンライブがありました。「皆さん、サヨウナラ」というタイトルで、その後、「飛び蹴りツアー」と題して、全国ツアーを二周して、東京から広島へ帰るわけですが、あのライブではアンコールで20分間くらい即興演奏をしました。自分の感情を叫び、語り、「生きろ!生きろ!」と客席に訴え、漆黒の衣装と、アングラなバンドサウンドのなかで、取り憑かれたようなパフォーマンスで、あのライブで自分は一度死んでしまったのではないかと思うくらい、いいや、実際には死ぬ事をあきらめたくらい、細胞が全て入れ替わり、悟り、目覚め、狂気の先の静寂の中、人生における重要な決断をいくつか行いました。
 あのワンマンを越える、つまり、過去の自分のレコードを更新することに、この数年間ずっと悩まされて来ました。海月ひかりと名前を改め、新しいことのへの挑戦を続け、自分と向き合い、再度上京を決め、自分の体内に革命を起こし続けて、現在に至ります。
 実際、「太陽の子」というワンマンライブは、2009年の私を越えたという確かな手応えをつかんだのは、ライブ録音を聴いたときでした。なにか計りがあるわけではなく、自分自身が本心でそう思ったのです。
 ライブは生ものであり、感想はひとそれぞれで、あの夜居合わせたひとが皆、首を縦にふるかどうかは分かりませんが、少なくとも、ステージから見えた景色と実際の録音を聴く限り、私は過去最高のパフォーマンスだったと思います。そして新たな記録ができたことで、越えなければならない山が一段と高くなったな、と絶望的な気分になったのも、少し可笑しい事実と言えます。
 リリースにあたり、収録曲をどうするか、考える事になりました。第一案、第二案、と考えいくなかで、どこを切っても、なにか違和感を覚えるのです。これとこれと、それからのこの曲、とすると、いきなりその曲のスケールが小さくなり、曲としての魅力が損なわれてしまう。そしていっそのこと、もう全部入れてしまおうか、となるわけですが、二枚組CDを作るとなると、それなりに予算がかかります。今はCDバブルではないので、きっと他のミュージシャンや業界全体が同じように悩んでいるだろうけど、私なりの可能な限りの最大限で、今回はブックレットをあきらめて、21曲とMCトラック、あの夜を全部まるごと形に残すことになりました。歌詞が見たいというご意見もありましたが、その期待にお答えできず申し訳ないと思っています。
 
 先日、福岡に行きました。学生時代の恩人に会い、生まれたばかりのお子さんを抱っこさせて頂きました。少しまえに、「思えばこの数年、まともに聴き続けてる音楽は、海月ひかりくらいだ。早くライブに来い」とメールをもらっていました。嬉しいですね。
 歌は自分の為に書き続けています。内容ではなく、書くということが私を満たし、救い続けてくれています。その音楽が、本当に誰かの為になるとしたら、それは敢えて荒々しく言えば、「生きた爪痕」を残せたことに価するのです。
 三十代に突入し、人並みに私も将来の事を考えます。私の両親は、私の夢をずっと応援してくれました。あたたかな環境で、かなりのびのびと育ったので、突飛な行いで、ずいぶん迷惑をかけましたが、そろそろ恩返ししないといけない、とも思うのです。と同時に、音楽との向き合い方の変化も感じているのも事実です。マイナスをプラスに変えてくれるのが音楽でしたが、近頃は、より豊かに人生を彩ってくれるものが音楽、というように進化しました。
 福岡で抱かせていただいた子供と恩人夫婦に「太陽の子」をプレゼントしました。発育にいい音楽とは思えませんが、こういう人間がいる、ということを知ってもらえたら幸いです。そしてあの子が大きくなったとき、私のライブに一家で招待するのが、とても楽しみな目標のひとつです。
 
 最近はSNSなどが主流になり、あまり真剣に文章を書くことがなくなってきて、ただでさえ稚文だったのに、さらに言葉が出なくなっていて、非常にもどかしく、この文章を書きながら、少々落胆しております。
 文学から離れていた、というか、自制を働かせていたのですが、この春になり、小説をまた読むようになりました。趣味で外国語の勉強もしておりますが、やはり日本語の美しさ、艶、には心奪われるものがあります。詩(うた)を書く人間として、もっと言葉を愛して、自分の音楽をもっと豊かにしたいものです。
 
 思わぬ形で完結した「太陽の子」。全ての生命を生み出した太陽のように、何かを生み出す、創り出すことの楽しさ、素晴らしさ、そして尊さを伝えたかった。人の心はいつも素直で、純粋で、かけがえのないものです。一人で悩む事や苦しみことは、誰にだってあるし、その苦しみから解放される手段として、音楽はあるべきです。
 私が作った音楽で、みんなの心が豊かになってくれること、勇気を持ってくれること、日々を楽しむことにつながればいい。その力を宿した音楽を発信できていると自負しております。音楽以外は、少々いい加減なところもありますが、まだまだやるべきことや仕事があることって、楽しいじゃないですか。
 これからもまだまだ音楽を生み続けますので、皆さんお楽しみに。そして、海月ひかり実演版「太陽の子」もぜひお聴きください。最高の作品です。電車のなかで迂闊に聴けない。お部屋でひっそりとどうぞ。

 

 最後に。
 これからまた、長い旅に出ます。それはフルアルバムに向けた長い旅です。少しライブが減ったり、もしかしたら少しお休みをするかもしれませんが —

「僕が生きて、生きて、生きて、生き抜いたこと
 ここで歌うから 忘れないでね」

                       小さな怪獣・海月ひかり

よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは今後の活動費とさせていただきます。よろしくお願いします!