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二人の聖者

とある時代、人々を導き共に歩んできた二人の聖者がいた。

ある村に滞在している時

一人の聖者はこういった

聖者A
「わたしは、この世に起こること全てを、
キセキ、あるいは神聖なものと観ている。おぉ!なんと美しい世界よ!!」


その後、そのすぐ隣でもう一人の聖者はこう言った


聖者B
「わたしはこの世に起こる全てのことは、くだらない、取るに足らないことだと観ている。
おぉ、なんと今日も普通な世界よ。」


真逆のことを言っているような二人に、村人たちは混乱した。

しかし二人の聖者は尊重し合い、互いに、一切の否定がなかった。


村人A
「二人の言っていることは真逆だ。それなのになぜあの二人は違いを否定し合わない?」

村人B
「そうだ。どっちを信じればいいんだ。」

村人C
「今までくだらないことばっかだったけど、たまにキセキも起きてきたじゃないか!」


人々は日々、このようなことで混乱していた。

ある日、聖者Aと聖者Bに質問をした。

村人A
「聖者よ、二人は互いに反対のことを言っていて、私たちはひどく混乱しています。
一体、どれがキセキで、どれがキセキじゃないのですか?」


二人の聖者は、互いに微笑み、同時に答えた。


聖者A&B
「わたしたちは、同じことを言っている。」


村人B
「同じこと?二人の言っていることの何が同じことなのですか?
たとえば、今日もわたしは畑を耕して、空を見上げながらここにきました。

こんなことは取るに足らないことです。

ですが、聖者様がここにきた時、ずーっと降っていなかった雨が降ったではないですか?

あれはキセキだと村中が驚いています!」


二人の聖者はしばらく目を閉じて、聖者Aが答えた。

「おぉ、あなたが今日、畑を耕して、空を見上げていたこと。なんと驚いた!あなたはそのようなことができるのか!神聖な出来事に感謝。

そして、ずっと降らなかった雨がこの村に降ったあの日にも驚いた!!なんてすごい!!

というか、わたしが今こうして話せることにわたしは神聖さ観る。なんて素晴らしい。」



その後、聖者Bはこう答えた。

「うむ、あなたが今日、畑を耕して、空を見上げていたこと。なんと取るに足らない。普通のことだ。
わたしたちが来た時の雨、
あぁ、確かそんなことにあなたがたは驚いていたな。あれも普通だ。」


村人たちは黙っていた。
二人は全く真逆のことを言っているようで、
完全に調和し、その神聖さ、穏やかさに、同じものを感じたからだ。


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ふぅ、物語はこの辺りにして。

皆さんどうでしょう?
この二人は同じことを言っていると思いませんか??


なぜ「全てがキセキ」と思うことと
「全てがくだらない」と思うことが同じかというと。


「全てがキセキ」ならキセキなんてないということだからです。


「全てがくだらない」ならくだらないことなんてないということだからです。


でも通常、まだ進化していない村人たちは

「あれはキセキで、他はくだらないこと」

だと観ていることでしょう。

もしくはよくある
「当たり前に感謝。」とかをやっているでしょう。


「当たり前に感謝」っていう考えって
なんか物足りないなあってなるんですよねーー


だって、当たり前と言っている時点で、感謝してないし

当たり前としている時点で

「当たり前と、当たり前じゃないこと」

という分離ができる。

これはキセキで、これはくだらないことで。

と同じように。


でもそもそも人は

何をくだらない(当たり前)と呼んで

何をキセキ(当たり前じゃない)と呼ぶのでしょう?


それは、起きた事象に対して
頭の計算が追いついたことを、当たり前として


起きた事象に対して
頭の計算が追いつかないことを、「キセキ」

と呼んでいるということです。

たとえばあなたが、
「電気」というものをまだ知らなかったとして


僕が
「ではこの暗い部屋を、火を使わずに一瞬で明るくしますよ?観ててねベイビー?」


と言ったらあなたは信じないでしょう。
「そんな一瞬でなんて、火を灯さないとさ。」と思うでしょう。


でも一瞬で灯りがついたら

「なんだこれ!!キセキだ!あなたは魔法使いですか?神ですか?」


となると思います。


こんな感じで、その時点の知識や常識では「キセキ」だとしているだけで


この世界で起こることは全て、起こったのだから起こりうることなのです。


そしてまた同時に


もし僕らが何も知らないままならば


全ての事象がキセキであり、「何かが起こる」ということ
それ自体が神聖なこととも言える。


まぁ実際何も知らないなら、何が起こってもキセキとは思えないんですけどね。

何かの事象をキセキと思うためには、
過去(記憶)との比較が必要だから。

あ、でも
逆に言えば、何も知らないなら、何が起こってもキセキになっちゃうでしょうね。

故に、二人の聖者は

「同じことを言っていた。」

ということになるのでありまーす。


「全てがキセキ」


「全てが普通」

あなたはこの二つの(同じ意味だけど)どちらがしっくり来ますか?


ご自身のしっくりくる方を選んで、


楽しいことも、嬉しいことも

嫌なことも、不安なことも

予想だにしないことも、予想できたことも

日常も、非日常も

全てを「キセキ」とする日々か


全てを「普通」とする日々を

過ごしてみてくださいね。

最後まで読んでくれてありがとう。

あなたの存在に感謝。そして、サポートにも感謝です♪