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生活に織り込まれたオモコロ

先日、高校の時にバンドを組んでいたメンバーと久しぶりに会った。
当日まで来るのか来ないのか分からないボーカル、3人ともギブソン遣いのギター、ベースのわたくし、ノリで全部こなすドラムのギャル。全員揃うのはなかなか珍しい。会ってなんの話になるかと思えば、オモコロだった。

学年中のファンを集めても過半数が演奏者側にいるようなボカロ曲をライブでやってしまうなど、笑顔になれる歴史を抱えながら、みんな無事にインターネットの人間として社会人をやっている。オモコロ民なのもなんら不思議はない。
会社では全然誰もオモコロを知らない不遇な環境にいる私にとってそういう場は嬉しいことこの上ない!ここでは「そうめん、食べ食べ委員会ッ」の掛け声でそうめん飲みが始まり、私が選んだノンアルのウメッシュも「それ、最近のやつじゃん〜」と半ば隠語じみた共通言語としてオモコロが認知されている。
そもそも私にその辺を教えてくれたのもここらへんの人たちだったな…

改めて感じたのは、オモコロが既に私の生活にかなり入り込んでいるということ。
言葉遣いやエンタメ的な分野のみならず、食や生活の知恵のような部分までカバーしているのはなかなか強い、逃れられなさがある。自分だけでなく友達にも結構それが起きていることを感じて、下書きに入っていた「オモコロ名言」記事を書きたくなった(今日何もしてないし)。

既に動画チャンネルの方で身内の名言を紹介する回や、ファンの方が書いたまとめ記事などがあり、引用され慣れているものも多いと思う。さすがクリエイター集団。
私は、オモコロとオモコロチャンネルから派生して、はじめは「匿名ラジオ」にどハマり、過去分全て3周くらいした所で他のラジオにも手を出しはじめたクチで、「モンゴルナイトフィーバー」「ありっちゃありスパーク」「かまみく」、そして新設の動画チャンネル「ふっくらすずめ倶楽部」も今やウィークリールーティンとなった。
家族や大事な友達が言っていたエピソード・思想のように、それらから摂取した言葉たちが自分の中に残っていて、頭をよぎることがかなり多い。

多すぎてちょっと怖いので、ある1週間に凝縮して紹介する。

月曜日

・出先の打ち合わせに電車を間違えて遅刻しかける。さらに持ってくるべき資料を忘れる。先週はスマホを2度もなくしたことを思い出す。まるで恐山並みのドジムーブ。でもざんちのnoteを毎朝読むと、背伸びしないでいいタイプのうっす〜らした元気がもらえるのよな。同じドジでも成し遂げていることがこんなにも違う、ということからは目を逸らし、一週間をまた始められる。

・ざんちの日記はめちゃくちゃ助かっていて、なんでだろう…人の日記からしか得られない栄養分があるってあると思うし、「共感」「癒し」「尊敬」「焦燥」、そして同じ時代を生きている人間が作るコンテンツをリアルタイムに愉しむという幸福を享受している。動画や記事だけでなく、漫画や小説、インタビューやイベントの仕事を見ていると、当然だけど日記とは全然違う濃度の出力があって、素直にすごいなと思う。ざんちの脳、出し入れがすごい。すごいよ…

・しかもあんなにセンスの塊なのに、全然違うタイプの人への憧憬みたいなものや別分野のインプットもたくさんしている。
みくのしんのワードセンスへの嫉妬とか。「褒められても実感を得ないので 闇雲に毎日が怖い」でピンとくる方はぜひ、記事を漁ってみてください。

火曜日

・残業。コンテンツIPものの仕事は、とにかく監修サイドが神様なので、クオリティファーストと言われてしまうと、使わせていただいている側の人間のスケジュールはどんどんキツくなっていく。オモコロのコラボものとかどれくらい時間掛かってるのかな、やっぱり大変なんだろうな…と思いを馳せる。

・低空飛行を察した先輩に諭されたのは、「少なくとも自信を持って発言しようね」と。おどおどしてる人の提案なんて聞きたくないよね〜〜わかってますよ〜〜〜。
永田さんの声が頭に響きます。「無理を通すのが仕事、堂々としてりゃいいのよ」と。

・ブレスト会議の動画を思い出して、クリエイターの皆さんでもああして産みの苦しみを経ているんだ、ゼロイチじゃなくていじくり回すような仕事をしているのに何を甘えたことを言っているのだ、と背筋を伸ばす。
念には念を入れてバックアップのバックアップを用意するくらいのARuFaの用意周到さ、あのくらいの尋常じゃない準備があってこそのあのバズりなんだよなあ、と思いながら気が付けば日付が変わっている。会社にはイベント当日に過去資料を全部入れたスーツケースを持ってくる人(めちゃ優秀)がいると聞いたことがあるけど、そういうタイプの人いるよね…。

水曜日

・オモコロ杯の審査の時、オモコロの案件記事の半分以上を書いていると言われているかまどさんが22年からの新審査員として「俺の審査基準では、独自性とかどうでもいい。とにかく与えられたタスクをきっちりこなしてくれそうかどうかのみを重視する」と言っていた。どこまで本気かわからないけど、やっぱりオモコロとかブロスでもそうなんだと、ガツンと殴られた感じがした(当たり前)。ブレストで良いアイデアを出して精査することと、決まった方針に対して具体的に実現可能な作業に落とし込んでいくのって全く別だよね…。

・私は、アイデア出しは締切当日の朝にならないと本当に機能してほしい脳みその細胞は絶対に覚醒しないし、通りそうなアイデアが形になりそうな予感がした瞬間(成果物が7割くらいのタイミング)で急に一度作業が止まる呪いにもかかっているし…かまどさんのそれを聞いた瞬間「ああどこへ行っても結局仕事よね」と妙に悟った感じがあった。その土台の収入あってこそ、煌めくあたおかコンテンツが生まれるんだよね。富豪になったら、匿名でバーグに巨額の寄付をしたいよ。

・そう思うと、きっとウェブライターなどという大変な職業はもし就いたら苦労するだろうなと思う。カッコいいんだけどね…。
雨穴さんの「INTERNET WRITING MAN」の歌詞にはウェブライターの良さがたくさん詰まっていて、好き。いまだにクリエイティブエナジーの補給としてよく聞いている。

木曜日

・仕事中に社外の人と雑談になり、「社長になったら社食にサーティワンとミスドを作りたいんです」という無謀な夢を語った。恐山の「アイスは精神のおやつ」論を引用すれば完璧だと思ったけれど、自制して「頭にも栄養を送らないとですよね」とお茶を濁した。

金曜日

・基本的に挫折を知らぬハッピーポジティブ性善説人間なので、その方向性に心を転がす筋肉はかなり発達している。でも自分のチーム全員をその精神性に染めるわけにはいかないし、いろんなタイプの人がいるべきだ。
もし自分が上に立ったら、長島社長の「みんながGOOD DAYなら、おれもGOOD DAY」のマインドでいたいなと思っている。頑張る可愛い後輩たちに「100点!100点!100点!」と言ってあげたいし、自分も言われたい。

・「みんな私のことが好き!と思いながら生活すると小さなことが気にならなくなる」と言っているモンゴルナイフちゃんよろしくのメンタリティが、私たちには必要ってコト。いやマジで。
私はこれに小学校3年生くらいのときに気がついた。ガキンチョあるあるの恋バナで「誰かが自分のことを好きらしい/しかし誰だかは自分だけは教えてもらえない」という伝達があり、それが誰か分かるまで、大変に世の中が素晴らしく見えた。もちろん誰か分かってからも別の楽しさがあるけどそこはリアルなめんどさもあるからな(一丁前)。明るく話しかけてくる人や目が合う人みんなが、自分を特別に好きかもしれないと思うと、ガチめに教室の背景にバラ色のトーンが貼られていた。
少なくとも小学校時分の私は、「惚れっぽい」と「惚れられているかもと妄想できる性質」がノンストップの好循環を起こし、世界全員大好きというノリで生きていたので、モンちゃん!わかる!いいよねこれ!となった。

土曜日

・永田智が言った。「憧れで始めて、殺意で続けろ」と。
ひょんな感じでやりたい仕事に就けてしまった私は、土日にすら人が作ったイベントをいち客として楽しんで、心のどこかでは「してやられた」とハンカチを噛んでいる。

日曜日

・ずっとインプットばかりしている自分に対して「これでいいのか」となる。目も耳も摂取を断たれるドライヤーの時間を苦痛に感じるのは、ただ生きるだけの時間が不安を抱かせるからだ。
でも、心の永田智が叫ぶ。「コンテンツのフォアグラになるな」と!
ものすご〜いパンチのある言葉。推敲もろくにしていない感想をTwitterに垂れ流すばかりの自意識に、じくじく染みる。インプットばかりで肥えて出荷先もない悲しいガチョウはどこへ飛べば良いのだろうか。

・「ありスパ」で原宿さんは大事なことをたくさん言っていて、ネトフリの広告が出れば「退屈は犯罪ではない」と2週にわたって怒り、「BTSの休止をが世界の潮流を作る」と称えた。
28歳まで無職だった原宿さんが語る「アウトプットせずに蓄える期間がないと何も生せ出せない」というのは説得力があるし、ライターがなんも書かない期間があっても全然良いと言い切る編集長はかなりカッコいい。おすしさんが言う「毎日何かするとかが大事なのでは」という考え方も、もちろん分かる。
やっぱり、いっぱい何かを見ているだけでは何者にもなれないのだ…。

・「自称コンテンツ全部見てるマン」とかいう肩書きで雑誌の座談会に出ている広告代理店の人を見た瞬間、うわっと思って美容院でページを閉じてしまい、今やそれが掲載されていた媒体すら覚えてない。
けれど、ああいうことにはならずに魅力的な想いを語る人間になりたいと思っているのはきっとずっと同じで、でもそのインとアウトと生活のバランスで時間配分が無理ゲーになってきていると分かっているから、希望の兆しを感じてオモコロを応援しているのだろう。

おもしろコロッセオ/たまに呼ぶ神様

こう思うと、以前から持論で思っているが、YouTubeやブログ・SNSってヘルシーに薄めた令和の宗教だ。向こうはなんの意識もしていないのに、こちらは毎日何かしらの形でオモコロの存在を思っている。岸田首相とか自分の親とかよりも日常で思い出す回数が多いって、すごい。
人気の配信者を教祖、それを支えるファンを信者と表現することもあるのは納得で、生活習慣から思考までを娯楽の形で指し示してくれて、たまに奇跡のようにコミュニケーショのも成り立つなんて、常に変わらない信仰の形である。

オモコロというコンテンツの周りにはうっすらとした教えめいたものや経済圏が存在し、八百万の神に加えて自覚的に、オモコロに教えと救済と社会的集まりを求める自分がここにいる。
おはコロこんちんぱ!これからもファイトです!

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