見出し画像

頭良すぎる友達と世界は回る話

私の進学した私立の中高一貫校で多発していた現象として、小学校時代それなりに頭が良かった子や神童と呼ばれていたガキんちょたちが一堂に会し、ほとんどの子供達がそれぞれに「あれ自分こんなもん?」とショックを受けるということが起きた(と思う)。そうして各々落胆したりハッとしたり、自分のスキルに関して解像度を上げていった。

私とて例外ではない。
小学校の時点で、中学受験の学習塾などで自分より明らかに勉強のできる人がいることは認識していた。しかしながらそれはどこかでストイックという性格だったり、勉強が好きだったり、特定の教科に興味があったり、そうした違いがあくまで「テストの点数」という1ジャンルで発露しているにすぎず、「地頭の賢さはあまり変わらない」のだという謎の自信を抱いていた。つくづくポジティブな子どもである。
SAPIXでずっとα1ですみたいな子達と話していても「真面目ですげ〜」とは思っていたけど、別に決定的な出来の違いみたいなものは感じていなかったのだ。

でも中学はすごかった。トップ層的な人たちはとんでもなく頭が良くて、本気で頑張ったらそこへ行けるなんてことを思う余地、なし。「地頭の良さとテストの点数は必ずしも相関しなくて〜」というような戯言を言っていられないくらい、圧倒的だった。
搭載されてるCPUに違いがある!私は1学期が終わるころにはそれを悟った。
私は弩級の文系なので、理系の天才はまだ脳みそが共存を許せた。助け合って生きていこうよ、の気持ちだ。しかし文系はキツい。中学生に文理の考え方はあんまりないけど、でも創作とか教養とかで12歳にして歴然としたセンスとか感じちゃうと、ものすごく意識してしまう自分がいた。

とりわけ、冴え渡った明晰な頭脳を持つ友人がいた。中学の間ずっとクラスが同じで、帰り道が途中まで1時間以上も同じ路線だったので、曜日(部活のスケジュール)によっては話すことも多かった。よく小説や漫画、CDの貸し借りなんかもした仲良しだ。
彼はテストの点は当たり前にほぼ満点ばかりで、1年を通しての成績もいつも学年でだいたい1番か2番だった。体育あんまりできないのに!(私もそう)
同じ授業を受けているので、よくよく意識してみると、新たな概念や公式を学んだ時の理解が深く早く凄まじい。度肝を抜かれた。抜かれついでに、ちゃっかり勉強も教えてもらった。
その度に覚えるひとつひとつの感動は、私の心に純粋な尊敬と憧憬を生んだ。一人の友人として誇らしくもあった。
ーーはずだったのだが。

ある時、彼に借りた本を一人で読みながら考えごとをしている時、恐ろしい考えに襲われた。
もしかしたら彼だったらこの章を読んで自分の何倍の情報を受け取り、理解し、深く思考し、さらに何十倍をも世界を広げているのではないか…?そう、急に想像してしまったのだ。
4Kの映像データを家庭用テレビで流しても4Kにはならない。スポーツカーを普通の道で走らせても200キロは出せない。
私が今の私の脳みそに視覚や聴覚の情報を送り続けるかぎり、自分の見ている景色は絶対にこれ以上の解像度にはならないし、ものごとを理解する速度も速くならない。
そう思うと、自分の世界の乏しさが青天の霹靂のように一気に実感され、ポロリポロリと泣いてしまった。
「生まれ変わるしかないってこと?」本気でそう思った。目の前が真っ暗になっていくとはこういうことかと感じたのを覚えている。

そのときはたしか家のリビングにいて、親にどうしたのと訊かれて訳を話したら、驚かれてから、笑われた。笑い事ではなーい!、という感じなのだけれど、話しているうちにおそらくどうしようもないし、そもそも確かめようもないなと悟りを開いた。
どう頑張っても自分は自分の脳の許す範囲でしか世界を享受できないということに向き合い、受け入れた。あれは多分中学2年生くらいのことだ。

今振り返ると厨二病真っ盛りの過剰な自意識ゆえのことだったかもしれない。その後、私は特に捻くれたり嫉妬に溺れたりもせず健やかに日々を送った。
一度だけ、彼が家庭科で針に糸を(糸通しを使っても)入れられず助けを求めてきた時の喜びといったら…!最高だったけど、これは決して意地悪ではない。めちゃくちゃ嬉しかっただけだ。
多分彼が私のことを見下す風なんてなくごくまともに接してくれたからということもあるだろう。自分の方が世間の大半の人間より頭の回転が良いのに日々を過ごしていくことってきっと大変だろうから、その態度も尊敬だ。

大学を首席で卒業し、どんどん同じレベルの人たちと交友を広げていく彼の様子を見て良かったなと思ったし、変わらず仲良くしてくれることも嬉しい。
一緒に映画や舞台を見れば、私と彼の感想は当然違うことがあるし、お互いにそれを面白いと思っていることが友人関係が続くひとつの理由だと思う。それでいいじゃないか。

20代後半になって思ったのは、互いに認知している世界が違うというのは地球上の全員同士に起きているじゃんということ。そして誰かにとっては私の言動だって一生かかっても理解できないものに感じる可能性が十分あること。
色々なところへ赴き、たくさんの作品や言葉を摂取して、様々な人の話を聞いて、見識を広げる。処理速度こそ誰かには及ばなくても、それは私の固有の体験であるし、自分のフィルターを通して人にシェアすることもできるものだ。
私が友人たちに対して思うように、「この人の頭の中いいなあ」と思ってもらえることがあるのであれば、涙した中学生の私にその幸福を教えてあげたい。
社会人になってそうした知見を深める選択を自分のお金でできるようになったことを誇りに思うし、ブランドバッグなどのように形が残らなくても、この脳と眼を大事に育てていきたい!


millefeuille memories
いつまでも胸にずきんと刺さっている出来事たちを、幾層にも重なった時間薬の力を借りて時効に仕立て上げたいという試みです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?