息子のプールを見学して感じた大切なこと
得意不得意があっていい
プールには30人くらいの親子が参加してました。
見学してて思ったこと。
小さくても
泳ぐのが上手な子だったり
泳ぐのが苦手な子だったり
もちろんいる。
僕が小さい頃は
できないことをよくないことだと思ってた。
勉強だって得意な科目、苦手な科目がある。
例えば数学で90点とっても
社会で20点を取ると先生に怒られる。
そして30点以下は赤点だと。
そして一番大事なのは合計した点数。
〇〇人中〇〇位
順位が低いとできない扱いされる。
僕はそれが嫌だったから勉強した
未来に対してこうなりたいとかがなかったから
できないレッテルが貼られるのが怖くて勉強した
#勉強できることに自分の存在価値を見出してた
だってそれでしか評価されないし
通信簿だって良い方が周りからは評価される
進学や就職にだって通信簿の評価は含まれる
でも社会人になって氣づいた
勉強できる人が社会で活躍できるわけじゃない
#できたことに越したことはない
学校の評価だけだと個性は発揮でき辛い
なぜなら評価軸が偏ってるから
コミュニケーション能力がめっちゃ高くても
先生の言うことを聞いてる人の方が評価されるし
アイデア力があったとしても
テストでは点数がとれない。
人の可能性を広げる勉強をすればするほど
今の学校教育には【個性を伸ばす】という部分では実現が難しい
#学校は効率重視
もちろん、学校があるおかげで良い面だってある。
だから良い悪いという二元論じゃなくて
自分の家族はどうするかってだけ。
息子がそれにフィットするならいいし
合わないから別の代替案(選択肢)を持っていればいいだけ。
学校は行かせなければいけない
と言う固定概念があるから
親も子どもも苦しくなる
選択肢が複数あった方が氣持ちだって楽になる
だから勉強するんです。
学ぶんです。
これだけ現代は選択肢が多くて
情報がたくさんあって
多様化してて
色んな生き方をしていいはずなのに
〇〇でなければならない
という刷り込みがどうしても拭いきれない
#その方が誰かにとって都合いい
世の中に文句があるなら
勉強するしかない
そして自分で変えられることと
変えられないことを分離し
【自分になにができるか】
を考えて行動するだけ
たったそれだけ。
そんな単純なことを
息子が生まれてから氣づかれました。
なぜ氣づけたのか。
息子の未来に直結するからです。
だから氣づかせてくれた息子に本当に感謝。
そう、思ったら、そう。
子どもの可能性は無限大。
生かすも殺すも大人次第。
子どもは大人の写し鏡だから
大人でもあり親の自分が誇りを持って生きる。
これにつきると思ってます😆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?