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0329 日記

世界が美しく見える日と、世界が汚く見える日がある。

今日は世界を愛せるようなそんな頼もしい気持ちになった日だった。

好きなもの、好きだったもの、出会った瞬間と今ではきっと形も違うし思っている事も度合いも違う。初めて出会った瞬間が最高到達点な事もあるだろうし、出会ったその日から何度も何度も出会うたびに最高到達点に達する事もあると思う。

「好き」ってなんだろうって考えることが「好き」。

考えるたびに形を変えて、色を変えて、温度を変えて、私の知らないところまで連れて行ってくれるこの「好き」という時に愛おしくて時に厄介な感情がたまらなく「好き」なのだ。

自分がどんな人かっていうのを言葉にするのは難しい、と思う。けど、自分の好きなものを紐解いていくとそこにはなんとなく自分らしさみたいなものがちょっとは残るんじゃないかと思う。私は私をよく見せたり、悪く見せたりなんてことができるけど、好きなものだけは嘘をつけない。私よりも私の好きなものの方が私のことをちゃんとわかっているのかもしれない。

自分の「好き」は随分尊いものに見えるし、宝物のように大切に扱うことができるけど、他人の「好き」に寛容になることは難しいような気がする。だって私が心底嫌いなものを好きって言ってる人がいたら心の奥底でちょっとくらいは「え〜、まじかよ。」って思っちゃうもんね。そういうもんじゃないかな。口では大人ぶって「そんなことはどうでもいいことだよ。」なんて言っちゃうし、頭の中でも「そんなことは自分には関係ない。」ってわかるけど感情は勝手に湧いて出てくるものだし、感情はコントロール不可。管轄外です。

だから他人の好きにはあまり深く関わりたくないなって思っていたのだけど、やっぱり何かを好きだって思うことは美しいことだね。何かに夢中になるって素敵なことだね。好きなものに、好きな人に一生懸命になれるってかっこいいことだね。って当たり前のことだけど思う夜でした。

無防備だと思うし、賢くないなあって思うんだけどそれが魅力だね。いつも私にこころを教えてくれてありがとう。そのこころを持って生まれてきてくれてありがとう。そのこころを腐らせずここまで育ててくれてありがとう。君の才能はこころです。

頭の中は宇宙よりも広いし遠くに行けるから頭のほうがすきだって思ってたんだけど、最近はこころもいいなあなんて思えるようになってきてるよ。こころは遠くに連れて行ってはくれないけど、こころが私をここにいさせてくれてるのかもね。

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