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現実と非現実 カシワイさんとの遭遇

文・短歌・写真●小野田光

 12月に発売されるわたしの歌集『蝶は地下鉄をぬけて』(書肆侃侃房)の表紙デザインが先日公開されたのだけれど、さっそくカシワイさんのイラストレーションへの反響もたくさんいただき、とてもうれしい。
 たくさんのコピー機から、複写された花が舞ってゆく。その中を縫うように飛んでゆく黄色い蝶。それを見上げる人。正確なコピー機の描写と不思議な現象のコンビネーションがすばらしい。このイラストをいただいた時から、わたしは何度も繰り返し眺めている。眺めてはうれしい気持ちになり、うれしい気持ちになってはそう遠くない過去のことを思い出している。
 わたしがカシワイさんのイラストを強く意識し始めたのは、今から2年ほど前のことだった。青山の地下街のカフェ。歌誌「かばん」の編集部を担当することになり、わたしの「上司」として編集長に就任予定だった藤本玲未さんと打合せをしていた時のこと。なんの気なしに、わたしは思い浮かんだ疑問を口にした。
「表紙はどうするの? 誰にお願いするか決めているの?」
「うん、カシワイさんにお願いしてみようと思うんだよね。文月悠光さんの『洗礼ダイアリー』の装画もすごくいいんだ。引き受けてくださるといいけれど・・・」
 静かに語る藤本さんを前に、わたしの胸は高鳴り、すぐに傍らの鞄から、読みかけていた『洗礼ダイアリー』を取り出した。
「えっ、小野田さん、今読んでいるの!? なんで?」
 なんでと言われても、読みたいから読んでいたのだけれど・・・
 わたしは『洗礼ダイアリー』の表紙を眺めながら、この偶然を何かの幸運のように思った。
 藤本さんが編集長を担当した2017年度、カシワイさんは「かばん」に12枚の素晴らしい表紙画を描いてくださった。毎月、表紙デザインが出来上がってくるのがとてもうれしく、その瞬間は編集部を務める大変さや、日々の生活を支える労働の疲れなんて忘れた。わたしは完全にカシワイさんの世界に魅了されていた。
 カシワイさんは、とても現実的に写実的にひとつひとつのアイテムを描写してゆく。機械的な描写もしなやかで愛おしくやさしいけれど、リアルさはきちんと存在している。でも、現実的な描写がある一方で、作品全体を覆う世界観は、どこか非現実の雰囲気をまとっている。それこそが真のファンタジーにしてカシワイさんの作品の魅力だと、わたしは思っている。「かばん」の表紙画はまさにそういうものだったし、自分の歌集出版が決まってからは、わたしの短歌にもこの世界観で彩を添えてほしいと切望した。
 現実から逃れたくはないという思いがわたしにはある。逃れるのが怖いという実感を持っていると言ったほうが正直なのかもしれない。でも、自分が身を置いているこの世界に、どこか現実離れしているようなファンタジックな部分があるとすれば、それによって少し生きやすくなることも知っている。現実と非現実のバランスの中のわたしたち。リアルとファンタジーは常に絡み合っているのだ。
 実際にお会いしたカシワイさんは、物静かで、まさにカシワイさんの作品に登場する人物のような佇まいだった。口数は多くないけれど、強く芯を持っている方だと感じた。
 歌集の表紙画の人物について、わたしは女性でも男性でもないキャラクターにしていただきたいとお願いした。カシワイさんは少しも驚かずに、了承してくださった。お願いした通りの「ヒト」が蝶を見上げている。
 現実に忠実でありつつ、現実では起こりえない。そういう歌を作りたい。カシワイさんの作品は、わたしの目標でもある。

ローム層にしずかな記憶抱く街で八万台の複写機光る


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『蝶は地下鉄をぬけて』には、表紙画のほかに、カシワイさんの数点の挿絵が収められる予定です。おたのしみに。

また、カシワイさんの作品の数々はこちらでもご覧いただけます。


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