ホッケーとわたし

文・短歌・写真●小野田光

 先日、発表された第64回角川短歌賞で、アイスホッケーを題材にしたわたしの連作「ホッケーと和紙」を佳作に選んでいただいた。こういった大きな賞の選考会で俎上に乗せていただき、結果として50首もの歌を誌面(角川「短歌」11月号)に掲載していただけたこと、とても幸運だし、うれしい。
 そこで、今回はわたしとアイスホッケーとのかかわりについて。
 東京で生まれ育ったわたしが、北海道の苫小牧や釧路で盛んなアイスホッケーに興味を持ったのは中学生の頃。いまや完全なマイナースポーツとなってしまったアイスホッケーは、わたしが中学時代を過ごした80年代、90年代にはまだ人気があり、最高峰リーグ「日本リーグ」のテレビ中継が多くあった。ひょんなことからテレビ観戦したわたしは、体力と知力が融合した試合展開に魅せられた。当時は、堤義明氏による西武鉄道国土計画という西武系の2つの日本リーグ所属チーム(いずれも現在は廃部)が東京をホームとしていたため、都民にもライブ観戦する機会があった。五輪に出たスター選手たちも両チームにたくさん所属していて、品川駅前の品川プリンスホテルアイスアリーナは、まさに都心に表れた北海道といった趣のとても不思議な空間だった。西武系列といえば、プロ野球の西武ライオンズは黄金期を迎え、堤清二(辻井喬)氏によるパルコWAVEなどいわゆる「セゾン文化」が花開いた頃。西武が、鉄道・百貨店という本業だけでなく、スポーツ・文化面でも社会に大きな影響力を持っていた時代だ。
 わたしも学生時代から都内の社会人サークルでレクリエーションとしてアイスホッケーをたのしくプレーし、直列のローラースケートを履いて行うインラインホッケーや、長靴で氷上を駆ける長靴アイスホッケーにも親しむようになった。競技スポーツとして「氷上の格闘技」を経験したことはないが、実際の防具をつけて氷に乗ることには得も言われぬたのしさがあった。
 その後、ここ10年ほどは、アイスホッケー専門雑誌の編集部の方々や日本代表選手をはじめとする多くのトッププレーヤーの方々とも知り合う機会に恵まれ、たくさんのアイスホッケーの知人ができた。苫小牧、釧路はもちろんのこと、日光や八戸、長野などのメッカにも何度も足を運んだ。
 そんな経験からできたのが、今回の連作「ホッケーと和紙」である。この連作のために特別な取材はしていないが、日頃のつながりから素直な50首が生まれた。大好きなアイスホッケーを題材として短歌を作れたことは、とてもうれしい経験だった。
「ホッケーと和紙」の主体はわたし自身ではない。でも、短歌を学びながら懸命にアイスホッケーのトップ選手を続ける彼の姿は、紛れもなくわたしが見た世界から生まれた幻だ。おそらくこの幻もまた、わたしなのだろうと思う。すべてがそうなってゆく。どこまでもわたしになってゆく。それが短歌の不思議な力だと思う。「ホッケーと和紙」を創作することで、そんなことをあらためて感じた。

全身の湯気は防具のすきまから魂抜けるごと立ちのぼる

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小野田光

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