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東京の微風

文・写真●小野田光

 風といえば、やっぱり作詞家の松本隆だ。
 1949年に東京・青山に生まれた松本は、青山と渋谷、麻布界隈を自ら「風街」と呼んで創作の原点としたし、彼の詞には多くの「風」が登場する。東京のその一帯には風のイメージはない。でも、開発されゆく故郷から抽出した普遍的な風が、彼の記憶には刻まれているのではないか。
 松本がドラムと作詞で参加したはっぴいえんどには、「風をあつめて」ほか多くの楽曲の歌詞に風が使われているし、その後、専業作詞家となってから現在まで52曲がチャート1位を獲得しているが、たとえば、寺尾聰「ルビーの指環」、松田聖子「風立ちぬ」「白いパラソル」、原田真二「キャンディ」、斉藤由貴「初戀」、薬師丸ひろ子「探偵物語」、イエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」など多くの名曲にも、やはり風は出てくる。
 こういうモチーフは、種々の作品に使い続けると飽きられてしまうのが常だが、松本の風は違う。どんな歌手に歌わせても必ずその歌手や楽曲に合ったものになっているのだけど、やっぱり松本にしか描けない風であるとも感じる。普遍と個性の両立。なぜ、そんな芸当ができるのだろう。
 松本の描く風は具体性に乏しい。「ルビーの指環」の〈風の街〉、「探偵物語」の〈言葉は風になる〉、「風立ちぬ」の〈風のインク〉や「初戀」の〈風の絵の具〉など、風が持つ透明性と自在性を用いて抽象的な表現からイメージを生み出しており、その分、聴き手には具体がつかみにくい。ポップスという時代性と具体性の塊の中で、それらの風は異彩を放つのだ。松本がはっぴいえんど時代に確立した抽象度の高い歌詞世界は、専業作詞家としてアイドルや演歌歌手まで幅広い歌い手たちに流行歌を提供するようになってから、具体性を帯びる方向に変化したことは間違いない。ヒット曲の量産には時代性も欠かせない。でも、前述した例のように、風だけははっぴいえんど時代と変わらぬ個性的な抽象度を保った。そして、歌手たちの声を纏うことによって、それらの風は様々な装いの中で確かな普遍性をも帯びていった。
 先日、自らを特集するラジオ番組に出演した松本は、風街はいつまで存在したのかという問いに対して、「東京オリンピックまでかな」と答えた。1964年。松本、15歳の秋。
 来年の夏、東京はまた失われる。わたしは消えゆく故郷の記憶を短歌の中に残し、普遍的な風を保存しなければならないと思っている。21世紀の東京の微風を。
(初出 書肆侃侃房「ほんのひとさじ」vol.12 テーマ「風」より)

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