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看板建築の魅力に気づく・・・の巻②

前回の記事に引き続き江戸東京たてもの園の看板建築編…!

看板建築は都内を散歩をしていると結構な確率で出会うことができて、見た目のデザインといい知れば知るほどその魅力に引き込まれてしまう。

今回も看板建築の世界に片足どころか半身突っ込んでしまうきっかけを作ってくれた江戸東京たてもの園の建物たちについて…!

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■三省堂(文具屋)■昭和2年(1927)

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三省堂は神田須田町に建てられた店舗併用住宅(木造3階建)で、主に書道道具の卸を行なっていた文具屋さん。

間口に対し奥行きの深さったらない。
平面図で見てみるとよくわかるのだが、とても細長〜いのだ。

外壁はタイル張りで、側柱・戸袋まわり・庇(ひさし)などを銅板で包んでいる。

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店舗へ入ると空間全体が収納スペースになっている。
左右の壁は商品棚、桐箱が壁一面に広がっている。

千と千尋の神隠しに出てくる釜爺の部屋もこの三省堂の店舗がモデルらしい。びっしり埋め尽くされた桐箱の数は約350。(中には筆が種類別に収納されていた。)

どこにあの筆入ってたっけ?…とならなかったのかなあ。
店主さんはきっと把握していたのだろう。そして、地下もあるとの情報。
地下では商品の荷解きや荷造りが行われていたらしい。

三省堂を見学していて一番感動したのは、やはり壁一面の棚、桐箱。

もうこれは自分のアトリエを作るときに絶対作りたいと思うやつじゃん。
パーツとか入れまくりたいと思うやつじゃん。本当にときめく。

■花市生花店 ■昭和2年(1927)

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店内に残る、古い様式が特徴的な花市生花店。

店舗は白いタイル張りの壁、そして格天井。

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デザイン組み合わせ方、色合いとても個性的。
すこし和のテイスト方が強く、外観とのギャップもまた素晴らしい。

花市生花店は神田淡路町に建てられた、創業は明治時代の花屋さんである。
明治時代には籠の天秤棒につるして売りに歩いていたという。

当時は「花を贈る」という習慣が無く、主に料理店や華道の先生がお得意先だったらしい。

こちらも三省堂と同じく平面図で見ると細長いかたちをしている。
外観は全体的に西洋風で、2階窓下の4枚の四季の花々が描かれているレリーフがある。

「花屋さんです〜」という小さなアピール感がなんとも可愛らしい。

このさりげなさが良いよ。
奥ゆかしさが良いね。
3階窓の左右にはメダリオン風の装飾がされている。

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■植村邸 ■昭和2年(1927)

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中央区新富町に建てられていた木造3階建の植村邸。設計も施主である植村さん。

植村さんは若い頃、銀座の老舗の時計屋で働いて、植村邸では時計や貴金属を扱っていたという。

店舗で販売というよりは直接得意先へもって行き販売するという形だったらしい。
一言、お金持ち相手の商売ですね。

植村邸は一見暗く見えるが、よく見てちょうだい。

数年がかりで作られた、職人技の詰まっている銅板装飾に覆われ、全体的には洋風だが2階窓部分の刎高欄(はねこうらん)

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こういった部分など、手の込んでるのが随所で確認できる。 こだわり強いなあ。

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植村さんの事をそんなに知らないけれど、今までの流れを見ていると確かにこだわりとか強そう。(勝手なイメージ)
外観の2階窓の上には、ローマ字で「U」「S」を重ねたデザインの飾りが中央にある。

これは 植村三郎のイニシャル説と植村商店を表す説があり、私は植村三郎イニシャル説だと思っている。いや、そうであってほしいと信じているし願っている。

奥深い看板建築の世界を知るきっかけとなった、江戸東京たてもの園の看板建築たち。(当時開催していた看板建築展も最高だった。)

今後は色んな地の看板建築巡りをしたい。

看板建築といったら青梅市のイメージが強い。

まだまだ見るものが沢山だ。
もおお困っちゃうなあ〜〜。(嬉しい)

おまけ

夜の看板建築たち

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おわり


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