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【改良版】軍艦島探訪〜その2〜

軍艦島へ…ついに上陸。

実物が今ここにというか私がここに。なんて不思議な感覚。

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あともう少しで夏休みが始まるっていうのに、ずる休みした中2の夏。

ソファに寝転びながら15時から1時間位やっていた単発のドキュメンタリーで軍艦島特集が放送されていた。その時『軍艦島』という存在を初めて知った。

その時は「行ける場所」とは知らず、知りたい欲求を本や映像で満たす事しか出来なかった。その不思議な存在にどんどん惹かれていった。

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ドキュメンタリーの中にあった、にぎわっていた商店街の様子が頭の中で再生される。
大人になると、行けるんだよ。と、あの頃の私に教えてあげたい。

本や映像で見るよりやはり迫力がある。
当たり前か。

とにかく時間は限られている。

**私のミッションは現地でしか得られない情報収集・空気や建物、雰囲気に浸り 酔いしれること・適度に写真を撮る事…の3つ。 **

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第1見学広場にて、ツアーガイドの女性リーダーさんが注意事項などを大きな声で説明してくれた。

見学可能なルートをガイドさんと一緒にぞろぞろとまわり、建物や当時の暮らしなど、ガイドさんがお話しをしてくれる。

**「ほぉ〜〜!」と参加者みなさん反応が良いこと。 **

みんなテンションが上がっているんだな。
そりゃ上がるよな。一緒だ。

端島小中学校の存在感にも驚く。
綺麗に整列している窓…
島の中でも一際目立っている。

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7階建ての小中学校(70号棟)隣に建つ体育館(71号棟)ゾクゾクするほどリアルに伝わってくる。

なぜここにこんな大きなレンガの塊が?と思ったら、高い波にのまれて運ばれてきたそう。そうか…波もここまでくるんだ。

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かつては映画館やパチンコなどの娯楽施設もあったりと、エネルギッシュで最先端の場所であったのがまるで嘘のよう。

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何もかもが自分の暮らしとは違っている。
目にしたものを、想像。
とにかく想像した。

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軍艦島情報を一旦簡単に整理しよう・・・。

■人口密度世界一…昭和35(1960)年、当時の住民の数は5.267人。東京都の約9倍という過密ぶり。

■現存する日本最古の高層鉄筋コンクート造アパート…大正5(1916)年日本初のコンクート造アパート30号棟完成。

■日本一のテレビ普及率…昭和33(1958)年、テレビの普及率はほぼ100%で日本一だった。

**第2見学広場に移動。 **

いよいよ私が一番見たかった建物が…。

140戸入っている30号棟。黒く、四角く抜けている窓。いつ崩壊してもおかしくない状態になっているそうだ。確かに、剥き出しのコンクリートは太さもバラバラになっている。

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とにかく、今残っている状態をきちんと目に焼き付けなくては、と勝手に使命感に駆られた。

パノラマ写真を撮影するかのようにあたりを見渡す。

夕日に照らされた建物たちはとても美しい。少し切なくなる陰影。

普段、昭和レトロなものを見て感じるノスタルジーとはまた違う、さらに心の奥へ奥へくる。

切なさに心が押しつぶされそうになる。

そして、お別れの時間。
早い…あっという間すぎた。

とにかく、崩れないでね その気持ちでいっぱい。
また何目線かわからないけど、とても心配になった。

当時の最先端が詰まった空間に時を経てこうして来れたこと、ここから時代は先へ先へと進んでいったんだな、と歴史と時間の流れに圧倒された。

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また必ず来る。

■軍艦島(端島)
■世界文化遺産
■長崎県長崎市
■長崎港からおよそ18㎞
■1810年、端島で石炭発見
漁民が漁業のかたわら「磯堀」と称して採炭
■1974年、端島砿山閉山。無人島に。 

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