秩序は誰が生むのか

この記事を読みながら思ったことをつらつらと書いてみる。


ジェフ・ベゾス氏の語る宇宙進出に向けた一連の話が本当に彼の考えていることなのか、それとも彼の宇宙への野望に対する後付けされた建前なのかはわからないが、そこは大した問題ではない。地球環境に資金を傾けるべきだという意見も散見するが、徹底的に資源・場所などの効率化を図ろうとも地球というフィールドにいずれ限界がくるように思われる。だとするのであれば、月や火星といった新たなフィールドに手を伸ばすことも一つの手段ではあるだろう。そしてアマゾン(というかジェフ・ベゾス氏)が宇宙進出を果たし、住環境を整えた時、政府より強力な力を有することになる。他の星における住環境がアマゾンに依存することになったとしたら、それはもはや地球上で何を言おうともアマゾンに従うほかない。とするのであれば、他の星での秩序を作るのはアマゾンになりうる。政府が地球上で担ってきた機能をアマゾンが有しても不思議ではない。

ここから逆説的に地球上における現在の政府による秩序統制という姿もいつか変容する可能性があるのだと気付かされた。

そもそも法律や政策などによって世をコントロールしようと試みる政府はなぜあるのかといえば、複雑化した社会をそうしないとコントロールできないからだ。
本来、生物は本能のもとで生きている。本能が命ずるところはおそらくだが「自分にとって快適な環境の中に身を置き、種を繋げ」だろうと考える。しかし、それに準ずるはずのヒトが、本能に対抗しうる意思を持ち、独自の発展してきた。意思を持ったヒトが、意思を利用しつつも本能に従うことで何が起きるか。もっとも高いレベルの意思を持つヒトのもとに全てが集約され、一人の快適な環境作りのために全て(ヒトという種さえも)が破壊してしまう。これに対して本能が危機を感じたためか、人に組織を作り、秩序をもたらすに至ったのではないか。人を殺してはならないとか、税金を徴収して再分配を行うだとかをわざわざ明文化して縛るのは、それを行わないと一定以上のヒトが不利益を被る可能性があるからだ。

政府はあくまで秩序を確保するための組織として存在するが、この組織は「政府」でという形でなければならないということはない。法律、あるいはそれに準ずる何かによってヒトに秩序を与えることができるのであれば、どのような組織であっても構わない。法律さえも現状、人に秩序を与える方法として最善と考えられているだけだ。これまでと違う形で人々に秩序を与えることができるとするのであれば、政府の役目は終わり、新たな秩序を統制するものが新たな支配者となる。我々が「政府がきちんと主導して社会を整えていくべき」と考えること自体、かなり盲目的なことだ。別にそれを誰が行おうが関係ない。歴史を振り返れば、今いう政府なんてものができて何百年も経っていないのだから。

かなり手広く散漫な思考になったため、より詰めたい。

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