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対話から共話へ。

Takramの緒方壽人さんによる「コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ」

落合陽一さんも最近のキーワードに挙げていた
コンヴィヴィアルテクノロジー。進化するテクノロジーに対して、自律共生すること。

かなり、読み応えのある本でした。ゆっくりゆっくり理解しながら、考えながら、戻りながら、納得しながら、メモしながら読みました。

「そのテクノロジーは、人間から自然環境の中で、生きる力を奪っていないか?
そのテクノロジーは、他にかわるものがない独占をもたらし、人間を依存させていないか?
そのテクノロジーは、プログラム通りに人間を操作し、人間を思考停止させていないか?
そのテクノロジーは、操作する側と操作される側という二極化と格差を生んでいないか?
そのテクノロジーは、すでにあるものの価値を過剰な速さでただ陳腐化させていないか?
そのテクノロジーに、わたしたちはフラストレーションや違和感を感じていないか?」

思想家であるイヴァン・イリイチのこの問いに対して、人間とテクノロジーの在り方を丁寧に考察されています。

「ある道具の力が人間をエンパワーしてくれ、なおかつ人間から能力や主体性を奪ってしまわないという、ちょうどいい力の加減。」

リアルな道具であれば「自転車」という話が出てきます。

「テクノロジーは、使う、使われる道具であるだけではなく、つくる、つくりかえる道具でもある。また、使い続けられる道具であるだけでなく、手放せる道具でもあるべきではないだろうか。」

以下、心に刺さったことば。

「正しさを内に、寛容を外に。」

「自立とは依存先を増やすこと。
希望は絶望を分かち合うこと。」

「対話から共話へ。
dialogからsynlogueへ。」

計算機科学者のアラン・ケイ
「未来を予言する最良の方法は、未来を発明することである。」

「作品を作るアーティストにせよ、スタートアップを始める起業家にせよ、まだ世の中にない何かをつくる人たちの創造性の根源は、自分の内的モデルと実世界の間の小さな齟齬や違和感にあるのではないだろうか。自分には世界はこう見えているんだけど、、、何で世界はこうなっていないんだろう。そんな弱いシグナルを見過ごさず、それをやる価値があると信じてつくることで世界に向けて問いかけてみることを諦めないこと。それこそがクリエイティビティだと思う。」

#緒方壽人
#コンヴィヴィアルテクノロジー

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