予算がなくて…への提案

みなさんこんばんは!

よし。まず最初にお断りをさせてください。今日ここにわたしが書くことは、誰かに対しての文句ではありません。特定の人に向けた愚痴でもありません。読んだ人のこころを傷つけるための主張でもありません。
もし、この先の文章を読んでいて、そんなふうに感じてしまった人がいたら。その人は、いつもすごく葛藤しながら頑張っていらっしゃる人だと思います。葛藤する理由は、いつでも、ただ一つ。そのことが、大切だからです。

なので、こころに起こった「ムカ!」や「モヤモヤ」や「は?」そして「そうは言ってもねぇ」などを、大事に抱きしめてください。いつも自分がんばって闘ってるよなって。
今日ここにわたしが書くのは、紛れもなく、そんな直向きに生きてる人達へ向けた、迷惑なラブレターです。

わたしは歌手です。アニメソングでデビューしましたが、大ヒットしませんでした。紅白歌合戦にも出ていません。コンサートを開いたら一瞬で100人お客さまが殺到するような、有名人でもありません。そんなしょぼいわたしが書く文章です。どうか、読み流してあげてください。

********************************

イベントへの出演依頼をいただくときに「予算がないので…ボランティアになるんですが、出てもらえませんか?」というのは、ミュージシャンなら一度は言われたことがある台詞だと思います。また、イベント企画の方も、一度は言ったことのある台詞だと思います。

むしろ、この時代、この国で「予算が潤沢なので、いくらなら出演してもらえますか?」という台詞が、個人単位で動いているミュージシャンへの出演依頼の会話で飛び交うことは、100%ない、と思います。
イベント全体の予算が潤沢だったとしても「生の音楽」というのはなるべくお金をかけずに済ませたい盛り上げ役、人々の足を止める役、もしくは雰囲気づくり役、です。現状として、ものすごく軽視されています。

音楽って誰にでもできる。そのミュージシャンにそこまで集客力がない、発信力や影響力がないのなら、まあまあな程度のプロより、上手なアマチュアのほうが、オファーも楽だし、とにかく便利なのです。
園児たちのうた、キッズダンス、中高生のブラスバンド、地元のコーラス隊、いつもは路上で演奏している弾き語りの若者。交通費すら支払われなくても喜んで出演を受ける人がいるのなら、そちらのほうが良いに決まっています。わたしがイベント企画者でもそうします。それをまったく責めているわけではありません。先に挙げた 園児たちのうたetc...をディスっているのではありません。ブラスバンドも、コーラス隊も、もちろん素晴らしいです。わたし自身もブラスバンドだったし、弾き語りの若者は最高で、聴いていて時に感動して泣けてきます。好きです。

じゃあ、何について述べたいかというと、その条件で出てくれる人が大勢いるんだから、あなたたちもそれで出てくださいよ、あなたたちだけ特別扱いはできませんよ。という、プロのミュージシャンに対する向き合い方や視点についてです。

何をもってプロと呼ぶか、は定義さまざまですが、ここでは「自分はプロのミュージシャンである」と自負していて、実際にクライアントから謝礼を得て演奏し、それを生業として人生を歩んでいる者、としておきます。

まず、イベント企画者(演奏の場を提供する側)・プロのミュージシャン(演奏を提供する側)の関係性について見てみますね。
どちらの立ち位置が、上なのか、下なのか。
言い換えると「出演させてあげるよ」なのか「出演してあげるよ」なのか。

これは、時代やシチュエーションによって大きく変化しているように思います。
たとえば「ライブハウス(以下、お店)」を眺めてみると、少し前の時代までは、お店側がほとんどの場合、上の立場でした。登竜門と呼ばれるような有名ライブハウスでは特に、お店側が、いいライブするなら出してやるよ。ミュージシャン側が、出させてください!頑張ります!でした。そうしてミュージシャンは成長し、ライブハウスで鳴る音楽のクオリティは、常に守られていました。
現代では、ほぼ逆転しています。ライブハウス側が「お前の演奏はつまらない」とミュージシャンに伝えるなんてもってのほか。お店側にとって最も重要なのは「集客」です。そうでないと、お店が潰れてしまう。ですので、お店側は、素晴らしいです!出てください!ミュージシャン側は、そんなに褒めていただけるのなら出ましょう。という図式です。
現在では、上質な音楽を提供するミュージシャンよりも、若いアイドルたち(歌えないけど熱狂的なファン多い)の出演率のほうが上回っているライブハウスも多数あります。また、集客能力の高い女性シンガーソングライターの出演に特化しているお店も増えてきている。
これに対しては、嘆くことでもないし、時代に沿った自然な流れなので、誰の責任でもない。しずかに受け入れるのみだと思います。

それで、みなさんはどっちが正しいと感じますか?
出演させてあげるよ、なのか、出演してあげるよ、なのか。

わたしは、そもそも、両方とも変だな、と思うんです。
どういう役割をもって接するとして、人と、人です。両者の間に、上と下をつけたとき、潤滑なコミュニケーションが取れると思いますか?

意見や要望を、ねじ伏せたり、我慢したりして、一時的には何とかまとまるかもしれません。だけど、そのイベントや、イベントを企画運営している組織が本当に育っていくためには。そのミュージシャンが、本当に伸びていって、もっと街や社会や文化に貢献できるように、活動を続け実力をつけていくためには。お互いが、尊敬しあい、尊重しあわないと、わたしは「価値ある瞬間」って生まれないと思います。

予算が少ない。それはしょうがない。
プロがボランティアで出演する。それもいいと思う。

そのときの、提案です。

企画者側は、ミュージシャンの2,000円のCDを 5枚〜10枚 購入してあげましょう。自分自身は必要なくても、お友達や関係者、誰かにプレゼントすればいいんです。誰にもプレゼントしたくならないような魅力のないCDしか作っていないミュージシャンなら、出演依頼することをやめましょう。イベントの質を下げることになり、お客さんの満足度にも繋がりません。がんばれ〜!という気持ちで楽しんで 10,000円すら差し出せない場合は、お金を使ったら入ってこない、もったいない、という根本的な先入観を打破しましょう。お金は、価値あることに使えば必ずそれを上回る金額で入ってきます。また、イベント会場に、次に演奏依頼をしてくれそうなクライアントを招待し、ミュージシャンにとってその1日が次回へのステップアップの機会となるよう図らいましょう。

ミュージシャン側は、ボランティアであんなにスゴい演奏をしてもらって申し訳なかった、次回はちゃんと謝礼を支払えるようにしっかり準備しよう、と感じてもらえるようなクオリティの高い演奏を提供しましょう。また、そのイベントで何が求められているか、常に空気をキャッチするアンテナを張り、自分のMCや歌詞のひとつひとつ、音を鳴らす姿勢、そこに至る日々の内観が、いかに重要か自覚しましょう。CDやグッズの物販で最低でも20,000円は売上が出るように、アナウンスの方法や商品の見せ方を工夫しましょう。友人や知人に、宣伝スタッフをお願いしましょう。初めて音を聞いた人に、ファンになってもらい仕事を依頼されるくらいに、素晴らしいパフォーマンスを届けましょう。

上記は、わたしがこれまで出会ってきた「粋な人たち」のイメージで、ひとつの提案です。さまざまな状況があります。もちろんすべてこの通りでなくていいんです。

ですが、この「上下」ではなく、対等な信頼関係によるコミュニケーション、相互の協力体制が整ったときに初めて、いちばん大切な「両者」である、イベントの開催チーム(企画者+出演者)・お客さん、の間にも、同じ人として平等に感謝しあえる素晴らしいムード、ほんものの歓びに満ちた空間が生まれる、とわたしは確信しています。

わたしは、いつでもどこにいても、ボランティアでいいから歌いたい気持ちで生きています。
どうしてかって、歌うことや、歌で人とつながることが、大好きだから。
お金をもらえるから歌うのではありません。わたしの歌にお金を払ってくれる人の、信頼や希望や応援がめちゃくちゃ嬉しいから、歌う仕事が大好きなんです。

お金を稼げないから歌をやめるとか、目に見えなくて実態もよくわからない「このご時世」に対して、具体的な打開策を考えずに、溜め息だけついている人の音楽には、わたしは興味がないからどうだっていい。
でも、良いイベント作り上げて、みんなの笑顔を見たい!とか、良い音楽をやって生きていきたい!ってピュアな志で何か動こうとしているのに、予算がない。っていう現実に、腹をたてたり傷ついたり、陰口をたたいたり泣き寝入りしたり、そういうのってもったいないな、何とかならないかなって思うんです。

わたしはプロの歌手です。1本のステージの単価は 80,000円に設定しています。(月5〜6本の演奏のお仕事で、100年後に生きる人たちからも愛される作品づくりをしながら生きていくのが理想だから)

だけど依頼を受けて内容を伺って納得できたら、60,000円でも歌うし、30,000円でも歌うし、10,000円でも歌うんですよ。何なら0円でも歌いますよ。
ただ、わたしは「この人にたくさん対価を支払って、どうか歌い続けてほしい」と感じてもらえる、上質なライブを提供できる歌手でいたい。そのこころの交流が、歌うちからが湧き出てくる源になるんです。

いつか、うまくいけば、貨幣社会の時代が終わりを迎え「お金」という概念自体から解放された、自由な時代が訪れるかもしれない。わたしはそれも素敵だなって思うし夢見てもいる。みんなで野菜やお米をせっせと育て、原発やらプラスチックやら自分たちでどうしようもできないもの作るのをやめて、風や太陽や水の力に本気で感謝して使わせてもらう、こんな腐ったような問題だらけの競争社会、消費社会から脱出できる、平和でほんものの知恵を出し合い生活していける時代が。

でも、わたしが生きてる間には、そんな理想に興味をもつ人間が増えはじめることは確かでも、実現はされない。だんだんと気づく人が増えてきて、メッセージを発信しコミュニティーを形成し始めた段階だから、まだまだ時間のかかること。もちろん叶えばよいけれど、それもまだわたしには、見当がつかない。

ということで、現状、お金はエネルギーそのものです。
でも、大事なのは「お金」っていうツールの中にある「エネルギー」のほうなんだよ。みんな「お金」に支配されるな。どうだっていいの、だって紙だもん。その紙自体じゃなくて、そこに宿ってるエネルギーを、無視しないで、ちゃんと感じてください。
こういうこと書くとすぐ、あやしいとか、きれいごととか、敵をつくるよ〜とか注意されるから、いつもなるべく黙っていたけど、誰のことも傷つけないように話す言葉なんて、何の意味があるんだろう。
嫌われないように、角が立たないようにも過ごせるけど、それじゃーいつまで経っても、ほんとうの仲間ができなくてさみしいね。

どんどん敵が増えたら、表面的じゃなくて、こころ同士でつながれる人が、どんどん増えるね!だから、わたしはこの長過ぎる、誰が読むんじゃっていうほどの変な文章を 真夜中に書く。推敲も修正も見直しすらもせずに、ずんずんずんずん書いたら、きもちよかった。知らない空き地の、背丈に伸びた緑の草をわけてわけて、指先とか頬とか、ス!って切れながら、ずんずんずんずん歩いてるみたいで。

おやすみなさい!読んでくれてありがとう。


かおり

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

はっぴー!
27

引田香織

essay

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。