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黄泉比良坂(よもつひらさか)は上り坂か、下り坂か

『古事記』『日本書紀』に記述のある黄泉比良坂(よもつひらさか)は、生者の住むこちらの世界と、死者の住む他界≒黄泉の世界の境目にある坂とされています。

ところでこの黄泉比良坂、果たして下り坂だったのでしょうか? それとも上り坂だったのでしょうか?

おそらく最初に頭に浮かぶのは、地下へと入り込んでいく下り坂のイメージではないでしょうか? わたしも漠然と、そんなイメージを抱いていました。ですが現在、黄泉比良坂と伝承されているの伊賦夜坂(いふやざか。※松江市東出雲町揖屋)は山道。つまり黄泉比良坂は、上り坂だったことになります。

ただ、それではそれで腑に落ちないことがあります。考えてみれば、下り坂でも上り坂でも、それが単なる坂であるならば、いくら巨大な石を持ち出してきたところで、完全な境界を築くことは難しいのではないでしょうか?

事の成り行きでページを捲った神代に関する書物によれば、ここでの坂は、単なる「境」という意味で捉えるのが妥当だと言います。また、古代に葬送の場に用いられてきたのは窟(いわや)であり、それに続く時代の古墳の石室もまた、窟の再現だと考えられる、というのでした。

なるほど、坂=境で、それが窟=洞穴であったなら、巨大な石でその入口に蓋をし、双方の世界を分断することも可能です。

それに考えてみれば、そもそも下り坂のイメージのほとんどは、単なる坂というより、おそらく地下へと潜り込んでいく洞穴のイメージと重なり合ったものであったはず。またそれが登り勾配の山道にあろうとも、問題の焦点は境としての窟にあるのですから、上りか下りかという問い自体がどうでもよいことになります。

つまり、今回は問題の設定そのものがズレていた、というオチでした(汗顔多謝)。