見出し画像

劇団を作りました

この度、劇団を立ち上げることにしました。理由は、人が好きだし、同時に嫌いだからです。

私はずっと人に優しくできることが正義だと思って疑わなかったんですけれど、最近、それは違うのでは…?と思い始めまして。

そしてそれは周りの人の数が増えれば増えるほど、難しいお話になってくるわけですね。

少ない人数、例えば10人ほどで何かを成し遂げなければならないとなれば、誰もが必死こいて協力し合うしかありません。しかし、これが100人になるとどうでしょう。今まで1人でやっていたことを10人でやればいいわけですから、一人分の負担は減ります。

では、10人の誰かでやればいい仕事は誰がやりますか?まず私は最初に手を挙げられません。出来れば責任は負いたくないと考えるし、頑張って責任を負ったところでそれを褒めてくれる人もいないからですね。

10人でいようが100人でいようが一人一人意志を持った人間であることは変わりないのに、まるで1人あたりの価値とか重さとかが無いことにされてるみたいな感覚に、ひとの脆さや甘えをめちゃくちゃ感じます。

やっぱり自分で理由あってやることしか本気になれないし、リスクも払えないよねということで。

そういった考えや経験から、少数精鋭のコミュニティをつくりたいと思いました。
演劇というものに対して素晴らしいところも気持ちの悪いところも咀嚼してみて、演劇という言葉には縛られたくないなと。でも演劇の形式は好きで。人によってはこんなの演劇じゃない!と言われてしまうこともあるかもしらないけれど、演劇以外に当てはまる言葉がないようなそんなことがやりたいです。

大切にする人はちゃんと自分で選ぶ。守りたい価値観やルールは根拠をもって貫く。人生においての大事なとこって実はこれだけなんじゃないかと。過去の喉に詰まってるわだかまりの昇華と、これからについてどう考えていくかを模索するための居場所です。少なくとも私にとってはね。

劇団員のみんなには、自分がやりたいことの条件と利害の一致があるならお互いに利用し合いたいと思ってる。利害の一致に少しの思いやりがあれば、それが友達でしょ?って思っています。

自分がいなかったら立ち行かない、わけではないけど、自分がいない穴を2、3人で辛うじて埋められるくらいで、だから全員が必要で、失敗を怖がる必要なんてないけど、自分という存在が確実に全員から認識されてて、あなたがいないと、ちょっと、うん、結構、寂しいかもね、っていうそんな団体です。

みんなで戦って、最後に危なくなったら仲間たちを守れるように、コミュニケーションをとることと、覚悟をしておくことが主宰の役割だから、特別なスキルがあるなんて死んでも言えないけど、世界にひとりぼっちじゃないことだけは忘れないように毎日考える。

なんだかんだ悪い人なんていない、なんて昔と違って到底思えなくて申し訳ないけど。全員が持ってる少しずつの小さい悪意に、この劇団で勝つことが、一人だけで考えてる目標だったりします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?