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映画を見た 『 ゼロダークサーティ 』

『ゼロダークサーティ』を見た。結構好きな『ハードロッカー』と同じ監督だ。序盤に首輪・檻・猿などが登場し、ラストは犬を引き連れての狩りで終わる。人間を動物として扱うことでPTSDを防ぐ効果でもあるのだろうか?

食事でも狩猟でも戦争でも、人間は他の生物を殺す時に多少の心の傷を負う。そうならないために巨大な神話や言い訳、正当性の体系が必要になる。

生命力(=知性)を「DNA増殖のための戦略」としてだけで捉えずに「自分の骸で何を育てるか」も強力な生命力として捉える必要がある。そういう神話や物語が。大洋母神ティアマトや始祖巨人ユミルや五穀女神オオゲツヒメなんかだ。

自分の行為の跡に何が育つのか?それがないのに他者を殲滅させながら増殖する生命は「ゾンビ」と呼ばれる。僕たちはゾンビがどんなに活躍しても「生命力が溢れているな〜」とは思えない。・・・いや思う人もいるか。アポトーシスも生命力だから。

ゾンビから何か新しいものが生まれるという物語を見たことがない。そりゃそうだ。新しい何かを産まないものの象徴がゾンビだからだ。

『地球幼年期の終わり』や『アイアムレジェンド(原作)』のゾンビっぽいものは新しいものを産む。彼らはゾンビっぽいがゾンビじゃないからだ。日本の『アイアムヒーロー』や『シン・ゴジラ』は途中で止まる。

外に開くだけではなく、内側に閉じていく強力な生命力。アポトーシス(細胞の自殺。指を五本に分けたり、葉っぱを枯らしたりする)の生命力については考えたことが少ない。寄生獣の広川やポアに近づくから。

しかし神話には生贄の話はおびただしくある。いや全ての話は生贄の話なのかもしれない。アイルランド神話のクロム・クルアハの「サウインの夜」の大殺戮。金枝篇の「森の王殺し」

ゾンビ化に似て非なるものとして「洗脳もの」がある。『ボディスナッチャー』『ゼイリブ』『コングレス未来学会議』なんかだ。もうひとつは「機械化」の『ターミネーター』『マトリックス』『A・I』なんかだ。

動物化、人間化、ゾンビ化、機械化。『ゾンビ』の主人公は男の警官だ。人々を守り仲間を守る。しかし彼はゾンビになる前に殺してくれと頼む。それは自分が生き残った人々の脅威になるからだけではなく、自分の魂を守るためでもあったと思われる。

人間のまま死ねば、その魂は何かになる。ゾンビで死ねば、その魂は何にもならない。この物語はアメリカが生んだ新しい神話だ。

生命力を次の世代に伝える生贄の神話。アベンジャーズのサノスやX-MENのダーク・エンジェルはまだ見てないんだよね。

掲示板で使えるモンスターアイコンが増えるよ。