#自己紹介 作曲、録音、技術編
<作曲、録音、技術プロフィール>
幼稚園の頃、ラジカセとラジカセの間にシンセを1台置き、多重録音の原始的な基礎実験を開始。
小さなAnalog Mixer(先代のお下がり)で音を混ぜる基礎実験も開始。
当時のステレオ?オーディオ?プリアンプ、パワーアンプ、イコライザー、スピーカー、レコード、カセットをバラバラにし、移動してセットし直したり。
レコードからカセットに録音するなど音楽、機材、音響に関する技術に興味を持ち始める。
スタジオ設立前、先代の仕事場にあったStuder A-80MkII(アナログ2インチ、16トラックのテレコ=テープレコーダー)とRoland SBX-80の同期再生アシスタントを経験する。
ちなみに先代のデビュー曲「奥の細道」が制作されたTEACの1/4インチ(通称6ミリ)のテレコのオペレートも。
今思うとこれらの経験から今の仕事に繋がっている気が、、
小学校の頃、カセット4トラックMTRをお年玉全て(貯金全て)を使い、導入。
確かYAMAHAのCMXシリーズ。
一番最初に実験したのは「かえるのうた(かえるのがっしょう)」を輪唱シンセ手弾きで録音。
以後、多重録音の虜となっていく。
小学校中学年の頃、オールインワンシンセ(1台のシンセサイザーで打ち込み、曲が作れる)を導入。
耳コピ(曲を耳で聞いて譜面がない状況ですっかり真似して再現)をひたすら打ち込み続ける。
この時からの修行は未だに続いていて、今も仕事に役立っている。
小学校高学年の頃、単体のシーケンサー(MIDIで打ち込む単体機)導入、確かKAWAI Q-80だった記憶、YAMAHA SPX-90のゲートリバーブに衝撃を受ける。
Apple Macintosh Plus(先代がSE/30導入の為、お下がり)、漢字Talkもない英語版のSystem6時代にMOTU Performer Ver2を使い始める。
同時に先代が使わなくなったEnsoniq Mirage(先代がCASIO FZ-1導入の為、お下がり)で12bitサンプリング開始。
英語も読めなく、取説もなく、ひたすら実験の繰り返し。
未だにOSもSoftwareも英語なのは最初使い始めた環境が原因と予想。
(1バイト文字の方が音が良いというのは都市伝説?)
余談だが、この頃から運動会、文化祭などの学校行事で音響に詳しい先生がいない場合、全校生徒行進の列に参加せずにテントでPA(音響)を担当。
歌を歌う事がとても恥ずかしく、だったら伴奏させてくださいと先生にお願い。
ピアノや足踏みオルガン?を伴奏している方が気楽だった複雑な年頃。
半田付けの為の半田こて、アナログテスターをこの頃から常時装備し始める。
アルミホイルが半田のように溶けると信じ込み、手に火傷をおう。
中学校の頃、先代のスタジオに入り浸るようになりマニピュレーター(作曲家、音楽家と楽器、機材、PCの橋渡し役)として参加し始める。
MIDIの打ち込みやシンセサイザー操作、設定など今の仕事と変わらないような内容だった記憶。
アルバム制作時、東京のスタジオへ同行し、SE/30からMIDIでシンセサイザーを打ち鳴らす音をSony PCM-3348へダビング作業をお手伝い。
今は亡き故・佐久間正英さんのdog house studio(当時まだ日本で1台しかなかったEuphonixのMixing Consoleだった記憶)で貴重な体験をさせていただく。
確か目黒辺りに今はおそらくないであろう、、屋台があり、先代はオデンを食べながらお酒を飲み、私はお腹が空いてラーメン。
泊まったホテルはお化けが出そうな暗い雰囲気で、椅子とか机が傷だらけの昭和ビジニネスホテル。
今思うとトンデモナイ状況。
話は戻り、、
RCAピン、フォンジャック、キャノン、D-Sub、MIDIなどのケーブル類の半田付け、ワイヤリングも修行開始。
耳コピから自分のオリジナル曲を作るようになり、たまたま偶然出来た曲がアルバム「東日流」に「十三の春」として楽曲参加。
他楽曲もアレンジ、フレーズの打ち込みなど徐々に音楽的に参加していく。
高校進学時に珍しく先代から「入学祝いにPCを買ってあげても良いよ」と言われ、自分の貯金で中古のPC買いますのでAKAIのサンプラーを買ってください、と懇願。
ようやく12bitから16bit音質のサンプリングにアップグレード。
この頃、MOTU Performer Ver4~5→Digital Performer1〜2、今では定番のDigidesign(現Avid)ProTools Ver3、譜面ソフトはProfessional ComposerやMosaicからFinaleへ移行。
毎週土曜日に地方でコンサート、ライブが続いた時期があり、金曜日に学校を休む為(現場で仕込み)、出席日数がギリギリ足りなくなる。
バジェットのない楽曲制作、外注出来ない場合は楽曲をAPIのConcoleやProToolsでTrackDown(Mix Down、音を混ぜる作業)を手がけ始める。
コンサート、ライブではYamaha ProMix01に始まり、YAMAHA 02Rでミックスを手がける。
ライン(シンセやケーブルでつなぐもの)のRecordingからマイクを使った録音が増え始め、Shure SM58しかない状況からコンデンサーマイク、生音録音の修行が始まる。
音楽スタジオがAnalog→Digitalへの過渡期となり、Time Code Sync、Digital Sync、Word Clockなど凄まじい勢いで変化。
金曜日の朝、2泊3日の宿泊荷物を持って登校、授業が終わると新幹線で東京へ。
日曜日の最終新幹線で東京から戻り、月曜日から登校。
アルバム「マヨヒガ」以降はリズム、ベースの打ち込み、コード、フレーズ、時々細くメロディ追加をしつつ、レコード大賞「企画賞」を受賞したアルバム「縄文海流」に「南天の海原」「キリバスの天使」で楽曲参加。
スタジオMAX稼動時には2名で24時間シェア体制。
先代は早朝〜夕方までスタジオ入りをし、私は午後からスタジオ入り。
共有部分を午後の時間帯に行い、夕方から深夜〜朝まで作業、、の2勤交代制の問屋制家内工業。
岩手にスタジオという立地は楽器、機材が故障した場合、宅配便でメーカーさんへ発送→修理完了後、宅配便返送と時間が掛かる状況。
自分で直せるものは直すと決め、ヒューズ交換、バッテリー交換、簡単な回路であれば半田付け、メーカーさんで修理不能なシンセサイザーは中古、オークションで同機種を購入し、自分で修理。
ニコイチ、サンコイチで凌ぐ。
おかげさまで、工場実習のアセチレン溶接とアーク溶接は得意でした。
最近は以前からお世話になっているエンジニアさん(機材の修理、改造)に世の中にはない製品を作ってもらい、もう直せない機材、自分では直せない修理をお願いしている状況。
近年ハードウェアシンセサイザーの使用率はかなり低下。
PC内部完結によるDAW、Plug-In、ソフトシンセサイザーでほぼ楽曲制作からTD、Masteringまで完結してしまう時代。
今現在はMOTU Digital Performerで作曲・編曲、Avid ProToolsでTDや編集、Finaleで譜面書き、StudioOneとNotation勉強中。
と、ここまで書いておきながら最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
元々リモートワークで岩手に居ながら東京や海外などやりとりをしていた事もあり、画面共有や通信環境が整ってきました。
過去のライブ映像をYoutubeにアップしようと考えてみたり、、
突然でしたがFaceBookでLIVE配信してみたり、、
https://www.facebook.com/himekami.jp/videos/343623716653145
楽曲を制作する為に色々と技術や経験からスキルは積んだものの、ZOOMで一対一の教室が出来ないか考えてみたり、、、
新曲が9曲くらいまで出来上がったので、限定1年で配信をしてみようと計画したり、、、、あと3曲くらい出来たら、、、、、
これから色々と実行しようと思ってますので、あたたかく見守っていただければと思います。
自粛期間ではありますが何かしようと思い動いてます、サポートよろしくお願いしますm(_ _)m