役者って何者だろう

役者って何者なんだろう。
これは私が結構前から疑問に思っていることです。

今日は私がここ数年で思った役者についてのお話をします。


演じるということ

役者は演者とも言いますよね。

役を演じるのが役者、というのはその通りなのだと思うのですが
どのように演じるかって難しいですよね。
表現の仕方もそうだけど、
役として深みを出すとかすごく難しい。

台本読んで、役になりきってーみたいな感じなのはその通りですが、
どのように役を詰めていくかは千人役者がいれば千通りあると思います。
どれも正解だと思うし
役作りを一つに統一するべきではないとも思っています。
役作りで役者の個性が出ている場合もあると思いますしね。

でも、必ずやらなきゃいけないことがあると思うのです。

それは、
「役について考えられるだけ考える」
ということだと思います。

当たり前だろって感じですが、
私は難しいな、と思っています。


人間は多面的

私は演出をするときに、よく
「役を多面的に考えて」
と言います。

なんとなくЯealityの役者の役作りを見て
完璧な人間を作ろうとしている感じがしたのですね。

この人はこういう人だからこう行動する、
こんな性格だからこういうことはしない
みたいな。

役に矛盾がないんですね。

でも、私たちがいきていて、矛盾がないことなんてありますか?
色は青が好きだけど、ピンクのペンを買うとか
イケメンが好きだけど彼氏は特別イケメンではない
みたいなちょっとした矛盾。

この矛盾が役に感じられないんです。
確かに役は作られた人間です。

でも作られた人間だからこそ、
とことん生身の人間に近づけなければならないと思うのです。


同じ芝居は二度とない

演劇をやっている方にとっては当たり前だと思うことだと思います。

台本は同じだし、言っているセリフも同じ。
演出も同じだし、役者ももちろん同じ。

しかし、毎回違う芝居になるはずなのです。

役者は生身の人間です。
何を言われても、全く同じように演じて感じることはできないはずなんです。

相手が少しでも変われば、自分だって変わるはず。
稽古をしてクオリティを安定させることはできても
全く同じものを提供することは、本当はできないのです。

「芝居は生物」とよく言われます。
本当にその通りなのです。

Яeality第二回公演「七月の涙 夕月夜の花束」
では、8回公演あったうち、
メリーバッドエンドだったり
ホラーだったり
ジャンルが全く違う芝居になっていました。

セリフも
台本も
役者も
全部一緒なのに

全く違う舞台になる。

これが映画やドラマと演劇の違いなのかな、と思います。


役者の力

演出をしていて思うのは
役者はやっぱりすごいな、と。

あんなに感情に素直になるには
自分を無にしなきゃいけないと思うのです。

役者、すごい。


いただいたお金は!!!全て舞台裏のためのお金にします!!!!殺人鬼もびっくり☆真っ赤っかな帳簿からの脱却を目指して……!!!