メンヘラ経歴その3(最終回)〜発達障害の判明と双極性障害の発症〜

第2回目からの続き。

2013年4月からフリーライターに転身した私。仕事は選ばず何でもこなし、休日もほとんど取りませんでした。貯金は60万しかなかったけど(たいてい、フリーになる人は300万くらい貯めてからフリーになります。1年仕事がなくてもギリ食っていける額)突然会社を辞めて転身に踏み切れた理由は3つ。

1.彼氏ができた

2.学生時代に出版社でバイトをしていたので、ある程度の知識と人脈があった

3.根拠のない自信

1に関しては、会社を辞める半年ほど前にできて、精神的な支えになりました。会社が嫌でも彼のことを思うとがんばれました。もう時効だと思うのでぶっちゃけますが、私は当時バンギャル(ヴィジュアル系バンドの追っかけ)をしており、ある日、本命麺(一番好きなバンドマン)から連絡があって付き合えたので、(ライブのメール予約で私のメアドを知っていたのと、顔と名前を認知されていた)夢かと思いました。本当に優しい人で、毎晩寝る前は電話をくれて、その日あったことや仕事の愚痴を1時間近く話していました。

彼が仕事の飲み会などで電話ができない日でも、ちょっとトイレに立ち「今飲み会中だから長電話できないけど、今日もお疲れ様。おやすみ」と、電話をくれるような、今思うとめっちゃくちゃ良い彼氏でした。バンドマンは基本、お金がないのでヒモも多いのですが、彼はきちんと正社員で働いていてデート代も毎回払ってくれました。生理でお腹が痛いときはお腹をさすってくれました。だから、精神的な面でとても安心できました。

しかし、駆け出しライターでなんでもかんでも仕事を引き受けていたストレスで、今考えるとADHDの脳内大混乱が起こって癇癪をおこしてしまうことが重なり、彼が私を支えきれなくなり4年前に振られました。

2.は運でしょうか。

3.は、それまで文学賞で最終選考に残ることがあったので、自分は決して変な文章を書いていないという自信はあったからです。

さて、メンヘラのお話に。とにかく仕事ばかりしていたら、好意を抱いてきたヤリチンクズ男にハマってしまい、一年ちょっと前、精神を病みました。このあたりが、デイリー新潮さんで始まった連載「普通の女子へなれなかった私へ」に繋がります。

心療内科を受診し、検査をしたところ発達障害(算数のLDとADHD傾向)が判明。と同時に、二次障害として適応障害も指摘されましたが、その後、診断名が双極性障害に変わりました。診断名が変わることはメンタルヘルス界隈ではよくあることらしいです。

ただ、今はだいぶ落ち着いて、前回の診察から減薬が始まりました。発達障害は治ることはないので二次障害をどうにかしないといけない。そのため、依存症や共依存の本を読んで自己分析をし、心の整理に努めました。医師からは睡眠リズム表をつけるよう言われ、それも真面目に記入しています。そうしたら、どんどん体調がよくなってきました。(うつのときは昼過ぎまで起きられなかったり、逆に爽状態のときは朝4時に目が覚めていた)

メンタル系の疾患はただ薬を飲むだけでは治りません。自分で「良くなろう」と行動すること、私は医師がカウンセラーの役目も果たしてくれていますが、そうでない場合はカウンセリングを受けること、そして何より休むことが回復に繋がります。

現在私は、よほど急ぎの仕事が発生しない限り、その日決めたToDoリスト以上の仕事はしません。でも、過集中の特性で原稿を書くのが速いので、時間が余ってしまいます。以前の私なら翌日にまわしてもいい仕事にまで手を付けていましたが、今はもう閉店しちゃいます。そして、ゴロゴロしたり、マッサージやプラセンタ注射に行ったり、アマプラで映画を観たり、猫と戯れたり、サウナで汗を流したりしています。

昔は、人様が働いている時間にリラックスすることを怠けと思っていましたが、今はリフレッシュと思えるようになりました。

これで私のメンヘラ経歴は一旦終了です。心療内科を卒業する日が来たら、また何か綴りたいです。

#エッセイ #メンヘラ #メンタルヘルス #発達障害 #適応障害 #双極性障害





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姫野桂

フリーライター Web、雑誌などで書いています。著者『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)
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