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盲腸日記

2018/5/18(金)〜5/22(火)、急性虫垂炎(いわゆる盲腸炎)で人生初の手術・入院を経験した。タイトルはヴィジュアル系バンドが好きなバンギャルさんならばピンと来ると思う。元ネタはヴィジュアル系バンド、シドの楽曲「妄想日記」。仮面女子やR指定、カメレオ、DaizyStripper、Moranなど、いろんなアイドルやバンドがカバーしているが、公式にアップされていたDIVの「妄想日記」がこちら。

虫垂炎の初期症状から手術・入院体験談をつらつらと綴っていくが、まずは虫垂炎についての基礎知識。

虫垂炎(ちゅうすいえん、英: appendicitis)は、虫垂に炎症が起きている状態である。虫垂とは右下腹部にある盲腸から出ている細長い器官である。
虫垂炎は旧来盲腸炎(もうちょうえん)と呼ばれていた時期があり、これは昔、診断の遅れから、開腹手術をした時には既に虫垂が化膿や壊死を起こして盲腸に張り付き、あたかも盲腸の疾患のように見えることがあったためである。(Wikipediaより)

そして、知人の医療系ライターさんに教えてもらったところ、「虫垂破裂状態を48時間放置したら、50%以上の確率で死に至ります」とのこと。昔からあるメジャーな病気だからたいしたことないと、当初見くびっていたのだが、放置すると死ぬ可能性があるからこそ、昔から有名な病気だったわけだ。

まず、今回の手術・入院で学んだことはこちら。

【手術・入院で学んだこと】

ひとり暮らしの場合、緊急入院は準備や手続きがかなり大変。近所に親や親戚が住んでいない場合、信頼できる人に普段から合鍵を預けていた方がいいかも。特にひとり暮らしでペットを飼っている人は、もし自分が倒れたときのことを何か考えておいたほうがいい。うちは、タイマー式の自動給餌器で自動的にフードが出てくるので、最悪の場合、3日間はなんとか大丈夫だと思うが、それでも心配。

医療は進んでいる。手術が終わって部屋に運ばれてきたとき、母は一旦部屋の外に出たら、先生や看護師さんが和やかに談笑をしている声が聞こえてきていたらしい。てっきり私もその会話に参加しているのかと思って部屋に戻ったら、私は酸素マスクをつけてまだ意識がない状態でギョッとしたそう。でも、今はこうだけど、翌日にはわりとピンピンしているのをみんな分かっているからこその余裕だったのではないかと。

医療は進んでいるとは言え、メスを入れて手術をすると1〜2日は動けなくなる。

虫垂炎をなめてはいけない。放置すると死に至る。

ジェルネイルをしていると手術に支障をきたす。普段は緊急時のことなんて考えずに女性はネイルをしていると思うが、手の指と足の指、両方やっていると手術の際に酸素量を測れないので、どちらかにしておいた方がいい。

・病院は食事が自動的に出てくるので、だんだん居心地がよくなってくる。

・看護師さんたちが優しい。

・手術や入院はお金がかかるけど、市や区に高額医療費制度の申請をすれば負担が減る場合がある。

普段、意識せずに行っている動作は実はすごいこと。これは病人になってみないと分からない。

体のSOSを無視してはいけない。


さて、以下より盲腸日記。

とても長いので、もくじ。

【もくじ】

●入院前〜症状発覚から病院受診〜

●入院前半〜人生初の手術〜

●入院後半〜術後の回復〜

●退院

●おまけ

【入院前】〜症状発覚から病院受診〜

5/15(火)異変

朝から美容室へ。昼過ぎに終わり、赤羽駅構内のチェゴヤでビビン冷麺を食べる。その後、だんだんお腹が痛くなってきたが、5/11(金)〜5/13(日)まで福井に出張に行っており、クライアントさんと共に行動して1日3食しっかり食べたため(普段は1〜2食)、少し胃腸が疲れている状態に刺激物を入れたせいだと思った。

5/16(水)胃腸炎だと勘違い

朝から胃腸が重い。疲労がたまるとすぐに胃腸炎になるため、これは胃腸炎だなと思い、以前胃腸炎になった際に処方された薬の残りを服用。お腹はすいていたので、小さなパンとバナナを食べた。基本、ベッドに横になっていたが、痛み止めの薬が効いてきたところで起き上がって原稿を書いた。痛み止めが効いているのは3時間くらい。痛み止めが効いている間に、友達であるVISUMALの中村つかさちゃんと飲みに行く。飲んだのはサワー系のお酒を5杯。ポテトやカクテキをちょっとつまんだ。

5/17(木)虫垂炎の可能性浮上

下腹部の痛みで目が覚めた。痛くて起き上がれなかったので10時くらいまで布団の中にいた。普段の胃腸炎なら2〜3日すればよくなるのになかなかよくならない。これはきちんと病院に行こう。そう思い、11時頃、ほぼ部屋着にすっぴんのまま、風邪や胃腸炎のときに行く近所の内科へ。診察で腹痛のみで下痢や嘔吐はないと言ったら、医師に眉をひそめられた。診察台に寝てお腹を触診。おへそのあたりから右下腹部にかけて、押されて離したときに特に痛む。

「押されたときより離したときに痛むのは、良くないんですよね。大きな病院に行きましょう。すぐに紹介状を書きます」

医師はそう言い、看護師さんからは紹介先の総合病院まで行く足があるか聞かれたので、タクシーで行きますと答えると、タクシーを呼んでくれた。なんだかおおごとになってきた。

10分ほどでタクシーが到着。15分くらいで総合病院に着いた。広すぎてどこに行けば分からず、適当な受付で聞いてみたら、緊急外来の受付の場所を教えてくれた。そこに行ったらちょうど、救急車で運ばれてきた人がいて、バタバタしていて物々しい。「少しお待ちください」と言われ、10分くらい待った後、受付。問診票を記入。その後医師による触診。虫垂炎の可能性が浮上。血液検査と尿検査、造影剤CTの検査。腕には点滴をつけられた。痛み止めの点滴かと思っていたら、脱水にならないようただの水分だったと後で判明。待っている間に地元・宮崎の母にLINE。母は元・養護教諭のため病気やケガには詳しく、この時点で虫垂炎と予測。すぐに準備をして飛行機の最終便のチケットも取っていた。

医師からは、しつこいくらい妊娠の可能性を疑われ、最後の生理や最後の性交渉の日、その前の性交渉の日まで聞かれ、念のため妊娠検査もされた。造影剤CTでは放射線を当てるため、万が一妊娠していた場合、胎児に悪影響を与えるからだ。妊娠検査の結果、妊娠はしていなかった。

造影剤CTは初めて。検査着に着替える。点滴の管がついているのでうまく着替えられず困っていたら、女性の検査技師さんが着替えを手伝ってくれた。点滴の針から造影剤を入れる。

「お腹の周りに金属はありませんか?」と言われ、ふと、へそピアスの存在を思い出して久しぶりに外す。造影剤を入れると身体全体が熱くなる感覚があると言われた。ドーム型の機械の中に入る。身体全体というより、お股を中心に熱くなった。

全ての検査結果が出て、医師に呼ばれた。やはり虫垂に異常があり、血液検査の結果も悪い。もしかすると虫垂が破れて膿が腸内に流出している可能性もあるので、この日のうちに緊急手術・入院を勧められた。仕事もあるし、入院は勘弁だ。薬で散らした人を知っていたので、薬で散らしたいと言ったところ、もう薬で散らせるレベルではなくなっているらしい。

「入院は絶対嫌です。私は今日、17時から準備して仕事に行くんです。あと、ひとり暮らしで猫がいて世話があるので、今すぐには入院できません。今日は帰ります」

そう言ったら苦々しい顔をされ「もし、高熱が出たり痛みが激しくなったら救急車呼んでくださいね」と言われた。そして、翌日の外来予約を取って、また改めて入院の準備をして来ると告げ、この日は抗生剤を処方されて帰宅。歩くと振動でお腹が痛い。

一旦帰って取材の準備をして、対談取材を行うため渋谷にある某編集部へ。振動でお腹が痛むので、電車で座りたいと思っていたら、池袋から座れてラッキー。駅から編集部まで少し距離があるので、振動が伝わらないようゆっくり歩きながら向かった。

20時過ぎに取材終了。この時間帯の渋谷〜赤羽の埼京線はラッシュ。座れない。このときほど優先席に座りたいと思った瞬間はなかった。みんな、我先にと優先席を陣取る。私、病人。そこの元気そうな人、席を譲ってくれ……。みんな疲れているんだなと思った。一瞬、タクシーを使おうかと迷ったが、渋谷から赤羽までのタクシー代を考えたところ、自転車操業のフリーライターはあきらめたのであった。(後でお見舞いにきてくれた友達からは「お金より命の心配をして!」と言われた)

赤羽駅に到着。自宅までは徒歩約10分の距離。そう言えばトイレットペーパーが切れるから途中のスーパーで買いたい、ミネラルウォーターも切れるから買いたい、夜に母が来るから母の明日の朝ごはんを買ってあげておきたい。自宅までタクシーでワンメーターだが、スーパーに寄るため歩くことにした。途中、痛みでどうしても歩けなくなって立ち止まり、少し休憩してまた歩き始めた。スーパーに寄って、トレパと2Lの水2本と菓子パンなどを抱えて無事、帰宅。着替えやタオルなど、入院に必要そうなものをボストンバッグに詰めた。クライアントさんには〆切延長の交渉メールを送信。

23時頃、母親が部屋に到着。ガスやキッチン、洗濯機の使い方、ゴミの出し方、猫の世話について説明して就寝。

【入院前半】〜人生初の手術〜

5/18(金)入院1日目

午前8時頃、タクシーで病院へ。部屋を出たところで大家さんに会い、入院する病院名を告げたら「あそこは私も3回入院しているけど、新しい施設だし、良い意味で病院らしくない病院よ」と教えてもらい、少し不安が解消される。

病院に到着。外来受付を済ませたら点滴を打たれた。途中、医師らしき人から「もしかしてあなた、昨日来た盲腸の人?」と声をかけられた。あの状態で一人で帰ったことで、病院内でちょっとした噂になっていたらしい……。

点滴をゴロゴロ引っ張りながら、尿検査、血液検査3回、レントゲン、心電図、触診などの検査で病院内をあちこち歩き回っていたら痛みの限界が来て歩けなくなった。そこで、初・車椅子。これは、R指定の「病ンデル彼女」、もしくはthe Raid.の「病んでる君に贈る歌」のMVだ! と一瞬テンションが上がる。

検査後、手術の説明を受けて病室へ。向かう途中、体重を測定。42.4kg。身重測定の機械は壊れていたので、口頭で154cmと伝えた。大部屋が空き次第、大部屋に移れるらしい。個室は電話OK(大部屋の場合、エレベーターホールまで行って電話)、テレビ見放題(大部屋はテレビカードを買ってイヤホンをつけて見る)、冷蔵庫使い放題、洗面用具も使い放題。個室は高いので、大部屋が空いたら移りたいと思ったものの、入っていた生命保険や高額医療費制度によりほとんどまかなえるとわかり、退院までずっと個室にいることにした。

麻酔科の先生が来次第、手術の時間が分かると言われた。この時点で14時過ぎ。待っている間に、「ネイルって落とせますか?」と看護師さんに聞かれた。なんでも、手術中、酸素量を測る機械に指を突っ込まなきゃならず、ネイルをしていると測れないので落とす必要があるらしい。ジェルネイルなのでサロンで専用のリムーバーを使わないと落とせない。看護師さんが除光液を持ってきて一生懸命落とそうとしたが、当然落ちない。足の指はネイルをしていなかったので、足の指で測定することにした。

しばらく待っていると麻酔科の女医さんがやってきて、オペは14:45からに確定。時間になり、オペ室まで車椅子で移動。地下のオペ室へ。オペ室に入る前、女医さんから名前の確認をされ、中に入ると主治医から何の手術なのか聞かれるので答えるよう言われた。頭にはシャワーキャップのような帽子を被せられた。

オペ室の天井には眩しいライトがいくつもあって、医療ドラマで見た通りの光景が広がっている。手術台に上がり、足を巨大なマジックテープのようなもので固定。BGMにクラシックが流れていた。主治医から「今から何の手術をするんですか?」と聞かれたので「虫垂炎の手術です」と回答。麻酔のマスクをつけられ、深呼吸をするよう言われた。何度か深呼吸をしたところで意識が途絶えた。

「さん……姫野さん……無事手術終わりましたよ」

主治医と担当医、看護師さん、母がのぞきこんでいた。

おへそのあたりに激痛が走る。

「おへそが痛い」

「喉が痛い」

「水が飲みたい」

精一杯それだけを伝えた。喉が痛いのは、手術中に呼吸用のチューブを喉に入れていたせいらしい。そして、とてつもない寒気がやってきて、歯がガチガチ鳴った。約1時間半、紙パンツ一枚の状態で手術を受けいていたので、体が冷えてしまったようだ。「寒い」と訴えると、看護師さんが電気毛布を持ってきてくれた。水を飲むことはまだ禁止だけど、うがいだけなら可能で、寝た状態で2回、ぶくぶくうがいとガラガラうがいをして、差し出された小さな洗面器のようなものに吐き出した。喉をしめらせたら少し喉の渇きは落ち着いた。

おへその痛みは手術の傷の痛みらしい。痛み止めを点滴されて、それから少し眠った。私の身体には脈を測る機械、尿道に突っ込まれたおしっこの管、足の指に酸素量を測る機械、そして点滴がつながっていて、体の周りはチューブだらけだった。

今回私が受けた手術は腹腔鏡下虫垂切除術というもので、お腹の両端2箇所に5mmほどの穴を開けて内視鏡を入れ、おへその下を切って切除した虫垂を取り出すというもの。跡はえくぼ程度しか残らないらしい。(いらすとやに、「腹腔鏡手術跡のイラスト」があった)

当初は虫垂が破裂している可能性があるとのことだったが、お腹を開けてみたところ、破裂寸前で、もう半日遅れていたら膿が腸内に流れ出ていて危険な状態だったらしい。セーフ。

母は切除された虫垂を見せてもらったらしい。親指くらいの大きさのピンク色のブツだったとのこと。私も見たかった。写真に撮るのを忘れていたそう。

手術後1日目は寝て起きてを繰り返していた。付き添っている母と話すのも、喉が痛くて苦しい。伝えたいことがあるときはLINE画面に文字を打って母に見せてやり取りをした。とにかくおへその傷跡が痛い。寝返りもうてない。夜中、何度も看護師さんが血圧や体温の測定、点滴を交換しに来て、そのたびに目が覚めた。

5/19(土)入院2日目

午前4時半頃、傷口が痛くて目が覚めてナースコール。痛み止めを点滴してもらい、ウトウトしていたら病院の起床時間である6時に。7時くらいに看護師さんが来て「今日から歩く練習を始めるので、ベッド起こしますね」と、電動ベッドの頭部分を持ち上げられた。そして初めて、自分の手術の跡を見た。おへそと下腹部の両端に絆創膏のようなものが貼られていて、一部出血の跡がある。

その後、看護師さんが温かいほうじ茶を持ってきてくれた。24時間ぶりの経口からの水分、おいしい!!!!!

それにしても暇だ。テレビのリモコンにも手が届かないし、パソコンや本が入っているリュックまでも歩けない。ウトウトして過ごした。

しばらくすると看護師さんが来て体を拭いて着替えさせてくれた。そして、おしっこの管や脈の機械、酸素量の機械が外れて、体に繋がっているものは点滴だけに。

「歩いてトイレに行ってみたいです」

看護師さんにそう言って、術後初めて個室内のトイレまで歩くことにチャレンジ。まず、ベッドから起き上がるのに一苦労。立てたら、点滴がぶら下がっているポールを杖代わりにしてゆっくり歩く。便器に座っておしっこを済ませ、手を洗ってドアを開けて、また歩いてベッドに戻る。

疲れた。

普段普通にやっている一つ一つの動作がとても難しい。歩くこと以外にも、お腹に力が入らないことで、笑うこと、鼻をかむこと、喉がイガイガした際に咳をすることさえできない。普段、どれだけお腹の力を使って生活していたのかが分かった。とにかく傷口が痛いので、また痛み止めを入れた。

この日のお昼から食事開始ということでワクワク。でも、術後だからきっと、お粥か重湯だろうなと思っていたら、カレーが来た。ガッツリ普通食、しかも刺激物。前日に盲腸を取った人の食事とは到底思えないが、お腹はすいていたので完食。その後、痛み止めが効いてきたので再び自分で歩いて洗面所に行って洗顔をし、軽く化粧をした。

看護師さんから「オナラは出ましたか?」と聞かれた。オナラが出るということは、腸が正常に動いたということなので、虫垂炎を患った人はみんな術後経過時に聞かれる質問。このときほど、「オナラよ、いでよ!」と思ったことはない。普段はできるだけ出さないようにしているオナラを今回ばかりは出さないといけない。あんなに普段、人前では我慢しているのに出ない。出てくれ、出てくれ。そう願っていたら出た。看護師さんに「出ましたー!!!!」と笑顔で報告した。

面会時間は13時から。母が飲み物や、手続きに必要な印鑑などを持ってきてくれた。また、14時頃、VISUMALの中村つかさちゃんがお見舞いに来てくれた。

つかさちゃんを見送った後、看護師さんと一緒に廊下を歩く練習。廊下の端から端まで、おそらく50mくらい。そんな少しの距離を歩いただけで疲れて、1時間ほど眠った。

腸の端っこがなくなったことで、今までぴったりとおさまっていた内臓と内臓の間に空間ができ、寝返りをうつとその空間めがけて腸がしゅるしゅる〜〜〜っと動くのが分かる。子宮筋腫で子宮全摘経験のある母も、子宮がなくなったときにそれを経験していて、当時の主治医に「この空間はどうなるんですか?」と聞いたところ、「次第に内臓が動いてきて空間がなくなります」と言われたらしい。人体の不思議。

18時から夕飯。魚のマヨコーン焼きの定食だった。夕飯を食べ終えて少ししたら、仲の良いカメラマンさんがインスタ映えするお菓子を持ってお見舞いに来てくれた。

前日より少し気力と体力があったので、パソコンを開いてメールチェック。21時に就寝しようとするも、普段そんな時間にベッドに入らないので眠れない。おそらく0時頃に眠ったと思う。

【入院後半】〜術後の回復〜

5/20(日)入院3日目

傷口の痛みで午前5時半頃目が覚めた。昨日までは24時間ついていた点滴が、今日から1日3回になったので、ハンズフリーになる時間が増えた。しかも、今まで一番太い針だったのが、細い針に変わるらしい。点滴をつけていたときは、点滴のポールを杖代わりにしていたけど、もう点滴がないので、壁をつたって歩いてトイレまで行き、おしっこを済ませて洗顔。しばらくぼーっとしていたら朝ごはんがきた。そして検温と血圧測定。

主治医と担当医ともう一人の外科の先生がやってきて、傷口のチェック後、それまでお腹についていた絆創膏のようなものを剥がされた。

「どうですか? もう明後日には退院しましょうか?」

そう言われて驚愕。1週間の入院を覚悟していたからだ。明日の血液検査の結果次第で明後日退院予定だという。

その後、シャワー及びシャンプーが解禁。これが一番うれしかった。最低5日はシャンプーできないと思っていたので。入院1日目の朝、きっとこれからしばらくシャンプーできないだろうと思い、家を出る前に朝シャンした以来のシャンプー。体はボディ用シートで拭いてはいたものの、頭は脂でしっとりしていた。個室の部屋にもシャワーはついているが、少し狭いので、予約制の共用のシャワールームを使うよう言われた。

久しぶりのシャワー&シャンプーにスッキリサッパリ。脂ぎっていた頭に天使の輪ができた。看護師さんはシャワーに1時間の枠を取ってくれて、でもそんなに時間かからないだろうと思っていたが、結局45分もかかっていた。自分では意識していなかったが、一つ一つの動作がまだスローリーなのだと思う。

シャワールームから自分の病室に戻るとき、気づいた。昨日よりもスムーズに歩けている! 我ながら、回復力がすばらしい。

お昼ごはんも完食し、母親が到着。パソコンを開いて少し原稿を書いた。そして、看護師さんから「3階に中庭があるので、外の空気を吸ってきてはいかがですか?」と勧められ、歩く練習のため母と中庭に行くことにした。エレベーターホールまで歩いてエレベーターに乗り、中庭へ。花壇にはきれいな花が植えられており、景色も良い。紫外線が少し気になったけど、気持ちが良かった。中庭を一周したところで、だいぶ疲れていることに気づく。歩いた時間は10分〜15分ほど。エレベーターに乗って自分の部屋の階まで戻る。そこから歩くのが少しきつかったので、エレベーターホールのソファで少し休憩後、部屋に戻った。1日1日、できることが目に見えて増えていく。体の全細胞が、回復のために活発に動いているのが分かる。

疲れたので、1時間ほどベッドに体を横たえた。その間に翌日、区役所に高額医療費制度の手続きに行ってくれる母に区役所の行き方を説明。委任状も書いて渡した。(念のため書いたけど、結局委任状は必要なかったらしい)

面会時間終了ギリギリの時刻に、昨日も来てくれた友人のカメラマンさんがまたお見舞いに来てくれた。15分程滞在し、歩く練習のため廊下まで見送った。

消灯は21時だが、最後の点滴を22時につけに来るらしい。とりあえず消灯のルールに従い、電気を消してベッドに入ったところ、うつ伏せになれることに気づいた。手術1日目は傷の痛みで仰向けのみ、昨日からようやく横向きに寝られるようになり、そして今日はうつ伏せになれた。

22時過ぎに看護師さんが点滴をつけに来た。部屋が乾燥していて喉がイガイガする。咳ができるまで回復したものの、やはり何度も咳をすると傷口に響いて痛い。看護師さんが帰った後、母が持ってきてくれたのど飴を舐めた。1時間ほどして点滴が終わったので、看護師さんが外しにきた。針ごと抜き取られ、点滴の袋を引っ掛けるポールも回収された。もう、明日からはノー点滴という証だ。点滴のポールをゴロゴロ引っ張って回収していく音を聞いていたら、だんだん自分が「患者」ではなくなっていくのを感じて、なぜか少し寂しさを覚えた。

ちなみに私は、もともと血管の壁が薄くてすぐに点滴の液が漏れてしまうらしく、何度も点滴の針を刺しては抜かれたので、両腕点滴の跡だらけになってしまった。

5/21(月)入院4日目

入院してから初めて、傷口の痛みではなく看護師さんが部屋に入ってきたことで目が覚めた。午前6時、起きがけの検温と血圧測定、そして採血。この採血の結果次第で退院が決まる。採血後、昨日よりもスムーズに起き上がれ、トイレと洗顔を済ませた。

朝食前に医師がやってきた。おそらく、血液検査の結果が分かったのだろう。傷口の様子を見て「綺麗ですね。明日、退院しましょう」と言われた。だんだん病院の居心地がよくなってきたところだったので、もう後2泊くらいしたい気持ちもあった。

その後もう一度医師がやってきて、術後経過の診察について説明。ちょうど一週間後に外来の予約を入れた。

この日の午前中、母親が区役所に高額医療費制度の手続きに行っていたのだが、本人の保険証が必要とのことで、一階の受付まで母に渡しに行った(まだ面会時間でないので病室まで来られない)入院以来、初めてこんなに長い距離を歩く。休むことなく一階までエレベーターを使って行けた。もうこんなに歩けるのだから大丈夫だ。

シャワーも昨日より手早く浴びられた。今日はとても調子が良いから仕事もできるだろうと、普段のように原稿を書いた。この小見出し、どうしよ〜と悩んでいたらお昼ごはんの時間に。食べ終えたところでどっと疲れが出て仮眠していたら母親が到着。昼過ぎの検温では少し熱が出ていた。まだ本調子ではないらしい。仮眠後、少し回復したので廊下の端から端まで歩く練習。昨日よりもさらにスタスタと歩けた。

「これなら明日退院後、赤羽駅から自宅まで歩けると思う!」と母に言ったが「無理だよ! タクシーを使おう」と却下された。

そして、実は昨日から咳が止まらない。咳をすると傷口が痛んで寝付けず、昨夜は虫歯が心配だなと思いつつ、寝ながらのど飴を舐めていた。てっきり、部屋が乾燥して喉がイガイガしているのかと思って看護師さんに聞いたら、これは全身麻酔の影響とのこと。

明日の10時に退院。忘れ物がないよう、荷物をまとめねばならない。

【退院】

5/22(火)退院

午前4時半ごろ、全身麻酔の影響の咳で目が覚めた。のど飴を舐めながら二度寝。5時半ごろ、看護師さんが最後の検温と血圧測定に来た。仕事をすっぽかしてしまう夢をうつらうつらと見て7時過ぎに起床。昨日よりももっと難なく歩ける。トイレを済ませ洗顔し、化粧をした。そして、忘れ物がないよう荷物をまとめていたら、担当医と主治医がやってきた。

「今日退院ですね。次の外来までは湯船には浸からずシャワーだけにしておいてください」

そう告げられた。

昨日も、看護師さんから退院後の注意として

・3週間は飲酒禁止。

・ジムに行くような激しい運動やサウナは禁止。

と言われていた。いずれも、血管が広がって傷口から出血する恐れがあるためだという。

最後にもう一度主治医が来て、傷口の最終チェック。問題なし。主治医と担当医、そしてもう一人初めて見る、おそらく主治医や担当医の上司にあたるであろう先生がいたのでお礼を言った。

9時に母親が到着し、退院の手続きや会計を済ませ、部屋に忘れ物がないか最終チェックをして退院。お世話になった先生や看護師さんひとりひとりにお礼を言って帰りたかったけど、みなさんバタバタとお仕事中で、廊下でお会いした看護師さんにしか挨拶をできなかった。落ち着いたら、総合病院に行った方がいいと適切な判断をして紹介状を書いてくれた近所の内科の先生にも、お礼を言いに行きたい。

病院からタクシーで自宅まで帰宅。自宅マンションの20mほど手前で下ろしてもらったのだが、タクシーから降りた瞬間、走っている車の振動が傷口に伝わってきた。病院内の廊下を歩くのと、シャバの道路を歩くのとでは感覚が全く違う。こりゃ、しばらくは100mも歩けないなと思った。数日間はタクシー以外で移動はできないと思い、今月いっぱいは自宅で療養することにした。

明日の目標は、自宅から一番近いコンビニ(50mほど)にハーゲンダッツを買いに行くことだ。

夕方に父も上京。まだ、飲食店のある通りまで歩けないので、退院祝いも兼ねて寿司の出前を取った。

今、私は入院患者ではない。でも、全快ではない。患者寄りの健康体という、非常に宙ぶらりんな状態だ。入院3日目に点滴が終了したときの寂しさは、この宙ぶらりんな状態への恐怖感だったのかもしれない。ワーカーホリック気味だった私にとって、手術・入院は結果として現実逃避、癒やしにもなった。これからは社会生活復帰が待っている。

【おまけ】

主治医がイケメンでした。イケメンは正義。来週の術後経過の外来で、またイケメン主治医に会えるので楽しみです。

#エッセイ #闘病記 #虫垂炎 #盲腸炎 #cakesコンテスト

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